大昔の伝説の勇者。
それは魔王殺しの勇者様。
それはとても美しいお姫様。
幼いころ、ラバン様に聞いたそれを少しだけ、憧れとして持っていたこともあった。
あまりにいろいろありすぎて、その話自体も、話の齟齬自体も、すっかり忘れてしまっていたけど。
その話を聞いて、そんなこともあったなって、思い出した。
「はぁあああ」
大きなため息をついたのは、彼女の隣にいるシーフォンだった。
つられて彼女もまたため息をつき、空を仰いだ。
自らの故郷であるホルムより少し河を遡ったところにある、どこか故郷に似た雰囲気の街並み。
石を煉瓦状に積み上げた建物の数々に、石畳に、街の中を巡る大河の指先、花の香り、そのひとひら。
そう、柔らかく甘い芳香をあげながら、先ほどから空と街と大河に降り続ける花吹雪、それだけが彼女が「知らない」ものであった。
しかし、それさえも、ネルあたりが顔をのぞかせて「ここはホルムよ、少し場所を移動させたけどね」と言ってしまえば信じてしまうだろう。
どこまでも、なにかが、そっくりな街。
「おい」
頭に軽く何かが触れる、が構うことなく、空を仰ぎ続ける彼女。
空を往く花の雪に、つい先程の光景――実際は数百年の先にいるわけだが――アーガデウムより降ってくる紫のかけらを重ね合わせ、自然と祈るような形に組み合わせた手を
「聞こえていますかー?」
隣のシーフォンにぴしゃりと叩かれた。
「シーフォン君」
「……戻ってきやがったか」
はぁ、と彼はため息をついた。
「あっ、ごめんなさい」
そのままコツコツと手にした杖の石突で石畳を小突き始める。
彼が立っているあたりは河の水が全く触れないところなのだろう、乾いた音が石畳に響き、遠くの祭囃子とリズムを打ち合う。
「は?なんで謝るんだ」
「話、聞いてなかった」
コツッ。一際大きな、石畳を打つ音。
「何も言ってねえよ」
ため息。
「……ったくよ、情けねえ」
「えっ」
――こんな、ぼやっとした奴から鍵の書ひとつ奪えないとは。
喉まで出かけた言葉を――それを口にすることは自らの不甲斐なさを改めて実感するだけだと――すんでのところで押しとどめ、彼は続ける。
「さっきのババアの言ってたこと」
「ババアってひどいよシーフォン君」
「そこは本題じゃねえ!……お前聞いてたか ?」
こくん。彼女は頷いた。
「オーケー、でだ、僕の耳がまともだったらなんだけど」
コツコツ。石突が再びリズムを打つ。
「この祭りは、僕たちのことを勇者だと言っているんだよな?」
「そう、だと思う」
――昔々、地底より魔物が現れたとき、その親玉を討つため空へ登って帰ってこなかった、勇者たちのお祭り――
「シーフォン君、勇者って言われるの嫌い?」
「だからお前は何でいちいち!」
ゴツッ、と石突が先程より強めにぶつかる音が響く。
「僕にとっては僕自身が勇者かどうかってのはどうでもいいんだよ」
彼女は、そのイライラしたような口調に、少しだけ違和感を覚える。
まるで、彼女に当たっているようで、怒り自体は全く別のところにあるような――
「その、勇者の一行!……あのババアなんて言ってた!」
「えっと、確か、勇者の少年と、……あっ!」
――勇者の少年と、彼に“惚れて”ついてきた妖術師の少年、それと不思議な竜の少女と……――
「シーフォン君……まさか、気にしてるの……?」
「当たり前だろ」
一拍。そして二人は同時に口を開いた。
「……シーフォン君が、天才って言われてないこと……?」
「……誰が男の尻を追いかけたって言うんだ!」
さらに一拍ののち、えっ、という言葉が、少年少女、両方の口から洩れる。
そのまま、沈黙へと。
「……な、何を言っているんだ」
それを打ち破ったのは、シーフォンだった。
「……え?えっ?」
少女もまた、首をかしげながら、彼を見つめる。
「ちがう、の……てっきり、ただの妖術師扱いに怒ってるとばかり……ッ!?」
コツン。
疑問を浮かべたその顔に、その瞳に、気の強そうな少年の顔が浮かぶ。
「わかってねえのかよ、……この伝説、きっとアイツがやったんだ」
突然視界いっぱいに広がる彼の顔に面くらいながらも、彼女は彼の顔を見上げた。
「えっと?」
「テレ―ジャだ!」
「テレ―ジャさん?」
「アイツが、きっと……『高尚なオアソビ』のネタにしやがったんだ」
彼女は一歩下がる。
「でも、いくらなんでも、私たちのことを、そういう風にするかなあ?……私を男性にしたり……?」
彼女の言葉に、彼は大きく開いた口を、への字に閉じる。
そのまま、腕を組むと、彼女より一歩距離をとった。
「そればかりは確かめねえといけないな」
確かめる?彼女は再び首をかしげる。
「帰るんだ、僕たちの時代へ」
きょとんとした顔の少女と、その視線に眉をしかめるシーフォン。
「なーにぼやっとしちゃってるんですか?」
片手を差し出し、ぱたぱたと手を振る。
「帰る……の?帰れる、の?」
「わかんねえ、わかんねえさ」
一息つき、シーフォンは続けた。
「けど天才妖術師の僕様にかかったら出来ないことなんて無いって事を見せつけてやるんだ」
ケケケ、と笑いながら踵を返すシーフォン。
数歩進み、彼は振り返った。
「何してんの?ほら、いくぞ」
「私も?」
思わず訊ねる彼女。
当たり前だろ、と彼は応じる。
――どちらが先に戻れるか、そんなことでも天才だから、僕は勝たなくちゃいけないの。わかります?
ぶつぶつと、独り言のように呟く彼の背中が、祭りで浮かれ乱れた人混みに混ざり始め、慌てて彼女は彼を追う。
……シーフォン君、ついてきた、ってところはいいのかな。その、惚れた、とか……。
追いかけながら、考えていたことが、自然と彼女の口に出ていたようだった。
ようだった、というのは、彼に伝わってしまったらしく、顔が自身の髪に似た色に染まりきった少年にぶつかってから、後付けで思い至ったのだった。
そして、全身を赤く染め、固まったままの少年に、
「シーフォン君……?」
そっと伸ばした手は、
「触るなッ」
軽い音を立てて払われる。
「ぼ、僕は、僕はっ!」
そのまま、弾かれたように走り出す少年。
どこいくのっ、という少女の叫びも耳に入らない様子で、人混みにぶつかりぶつかり、足を縺れさせながら走る。
「僕はなー!フィー!お前なんか!嫌いだーっ!」
走った先で振り返る。夕焼けより深い、朱のさした顔で睨み付ける。
「嫌いだから、いつか『参りましたシーフォン様』って言わせてやるからな!」
叫びきると、彼はそのまま立ち尽くす。
……待っているのだろうか、きっとそうだろう。
荷物袋に入れたままの鍵の書に触れ、フィーは歩き出した。
エンダ達、そして、……彼が居れば、きっと時の流れだって飛び越せる、と信じて。
- 作品名
- 歴史という名の大河を飛び越えて(Ruina/シーフィー)
- 登録日時
- 2017/07/29(土) 01:21
- 分類
- 文::フリゲ