ざあざあと雨の降る成都城。
屋根から降る水滴を手に受け、ふうっ、と馬超はため息をついた。
いかにも、つまらなさそうな表情、いかにも、つまらなさそうな色を失った瞳。
そんな彼を眺め、姜維は首を傾げた。
「孟起殿、雨は苦手でしたか」
彼の言葉に、しかし馬超は振り向きもせずああ、と低く唸るだけであった。
「伯約、その人は一日に一度遠乗りをしないと使えないのですよ」
と、横から入ってきたのは彼の師匠、諸葛亮だった。
彼もまた、どこか気怠そうに筆を進めている。
「使えないとはどういう事だ」
いつもの活発さはないが、それでも人の話はきちんと聞いているらしい、彼は振り返り、諸葛亮を睨んだ。
「言葉のままですよ」
きりきりと馬超の眉がつり上がる。
だが掴みかかる様子がないのはそれ以上に彼の心中に気怠さが満ちているせいだろう。
「…もやし」
その分の怒りは悪口となり諸葛亮へと向かう。
「突撃馬鹿」
もちろん、彼も負けてはいない。
「二重人格」
姜維はおろおろと二人を交互に眺める。
「悪趣味」
「変態」
「単純」
馬超は一旦口を閉じ、ふっと笑うとさらに口を開いた。
「放火魔」
かくして、いつも通りの、馬超と諸葛亮による悪口の応酬が始まり、姜維はおろおろと言葉のやり取りを眺める……
ということはなく、言葉の矢はすんでのところで木簡を持つ男性に遮られた。
彼は、その手にした木簡で二人を討ち取ると、
「いてっ」
「んんっ」
二人より距離を取り、扉を指差し
「仕事をしない者は退出しろ」
冷たく言い放つ。
「し、子竜殿!よかった…」
彼、趙雲の存在を認め、安心したように席に着く姜維と、慌てて彼の隣に腰を降ろす馬超。
「全く、此処は寺子屋ではないのだぞ…」
諸葛亮はと言えば、彼がぼやいている横で、乾いた筆を指先で回している。
「孔明殿もだ。私は誰の仕事をしていると思っているんだ」
「子竜殿のお仕事ですよね?」
「違う!」
趙雲は叫んだ。この雨でこの忠臣も多少堪忍袋が縮んでいるのだろう。
「孔明殿へ、と書いてあり、しかも地道な計算が必要なものばかりではないか」
と吐き捨てる。
「いいではありませんか、貴方だから出来ると認めたのですよ」
彼の言葉に、趙雲はまだ物言いたげな顔をしていたが、やがて自らの席へ着くと先程成敗したものとは違う木簡を差し出した。
「これは孔明殿にしかできぬ」
受け取りながら諸葛亮はぶつぶつと呟く。
「面倒です、非常に」
「しないのなら速やかに臥竜崗へ帰れ」
「今は水量が多くて、子竜殿が手を引いてくれるのな――」
「いっそ流れてしまえ」
「ほーう、私が軍師であること忘れているのですか?」
鼻を付き合わせ睨み合う二人。
「ちょ、ちょっと!」
二人のやり取りを眺めていた姜維が慌てて止めに入る。
「いくらなんでも!」
慌てている、と顔に書いてある姜維の、心底心配そうな瞳を見つめ、諸葛亮はふっと笑んだ。
「おや、子竜殿の演技も板に付いてきたようですね」
趙雲も彼を見つめ笑う。
「苛々していたのは事実だからな」
「え、どういうこと、で、」
訳が分からないような表情に変わった姜維の頬に筆のこつが当たる。それは馬超の物であった。
「子竜と孔明の喧嘩ごっこ、だよ」
呆れたように馬超は言う、だが姜維はそんな顔を眺めながら口を開いた。
「孟起殿実は参加したいんじゃありません?」
馬超の口がぱくぱくと動き、遅れて言葉が、いや、言葉にならない音が飛び出す。
「な、何を…」
「やっぱり」
「そ、そうだ、子竜!」
急に名を呼ばれ、笑みを浮かべたまま彼を見る趙雲。
「どうした」
「話を逸らしましたね」
「うるさい、子竜、苛々してたと言っていたな…何故今日だけは――」
その時だった。
部屋のドアが吹っ飛ぶような音を立て、壊れたかのように開いた。
いや、開いたというより辛うじて破られなかった、といったほうが正確だろうか。
何はともあれその様に爆音をたてた後、扉の向こうに立っていたのは、
「よお!子竜!…と愉快な仲間ども!」
彼らの主君の義弟、張飛であった。脇には酒樽を抱えている。
「翼徳義兄上、戸は壊すものではありません」
趙雲が柔らかい口調で注意するが、張飛は耳にすら入っていないのか酒樽を置くと部屋を見回しがはは、と笑う。
「子竜、お前の見立てより増えてんじゃねえか!」
趙雲はふっとため息をつき
「更に増えますよ、殿と雲長殿と憲和殿と…」
数名の名を口にした。
途端に張飛の口がへの字になる。
「馬鹿野郎、…そういうことは先に言え!ほら、酒だ!取りに行くぞ子竜!」
「解りました義兄上」
嵐のように二人が、もちろん爆音を立てながら去った後、姜維と諸葛亮が机の周辺を片付け始めるのを眺めていた馬超。
やがて、何かを思い出したように呟いた。
「だから苛々していたのか…」
余談になるが、その夜の宴会で、趙雲の部屋の扉が吹っ飛び、さらに趙雲が部屋の拡大を申し出るのだが、それは別の話。
- 作品名
- 気怠い午後とその素描(趙雲のお部屋/愉快な仲間達と宴会)
- 登録日時
- 2009/05/21(木) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他