「子竜、これは?」
あどけない表情で趙雲の手を掴み首を傾げる阿斗。
そんな彼にふっと微笑み、趙雲は小さな少年を右腕で抱きあげ、すっと左腕を伸ばす。
左腕の先、まっすぐに伸びた逞しい手、その中指には金の指輪が嵌っていた。
彼は、それを見つけ、趙雲に問うたのだった。
「これは、当陽にて負傷した傷を隠すためのものです」
やさしく答えると、彼は何かを思いだしたかのように左手を軽く握った。
だが、そんな彼とは裏腹に、彼の言葉に阿斗は目を丸くした。
「当陽…!?では、まさか、…私を守り、その時に?」
しまった。
そう思ったのか一瞬眉をひそめ目を逸らし口を噤むが、まっすぐな瞳に負けたのか、趙雲は僅かに肯いた。
「はい、私の力が及ば……」
申し訳なさそうに絞り出した趙雲の言葉が終わるか終わらないかのうちだった。
きゅっ、と彼の着衣が引っ張られる。
「しりゅう…しりゅう!」
少年の、今にも泣きそうな声と共に。
「阿斗様?」
「しりゅうが、私のために……」
顔を彼の肩に伏せ、少年は涙を必死に堪えていた。
小さな肩が、ぷるぷると震える。
趙雲は、そっとその肩を強く抱きしめ頭を撫でた、まるで壊れてしまうかのごとく。
だが、肩の震えを止めることは出来ないのだろう、それはいっそう強くなり、拍子を打つように嗚咽が少しずつ混じっていく。
「阿斗様のせいではございませぬ、ですから泣き止み下され」
阿斗は顔を上げた。真っ赤になった、しかし揺らぐことのない黒く芯の通った瞳が涙を湛え、趙雲の顔を映す。
……ああ、私はなんて情けない顔をしているのだ。
内心、そう思いながら趙雲は彼の頬を撫でた。
「私は、幸せでございます」
主君に泣かれる事が、とは口には出さなかったが。
「…しりゅう、それは真か?」
「今まで嘘を申したことがありましたか?」
ぷるぷると少年は首を横に振る。
「ないのう」
「でしょう?」
阿斗はごしごしと自らの着物で涙をぬぐった。
「だが、その傷、一生消えない、の、じゃろ?」
「……はい」
目を伏せ、趙雲は肯定する。
「…ならば、子竜は、私とけっこん、するといい」
一瞬、部屋に沈黙が走る。
それを打ち破ったのは、は?という趙雲の間抜けな声であった。
「…な、なにを仰います」
「翼徳の叔父上が言っていたぞ、きずものにしたらせきにんをとってけっこんしろ、と」
……翼徳義兄上は何を言っているのか!
内心そう叫んだ、そして叫びたかった趙雲だったが、どうにか平静を取り繕い、口を開く。
「仰せのままに」
彼が肯くと、阿斗はにっこりと笑った。
「やくそくじゃぞ」
「ところで」
そんな空気をぶちこわすように、部屋の反対側からどす黒い声がこれまたどす黒い空気に乗り流れてきた。
「どうしたのじゃ、孔明」
振り返り、声の主である諸葛亮を見る阿斗、そんな彼に、きりきりと眉をつり上げて彼は口を開いた。
「……阿斗様、お勉強はなさいましたか?」
「しておる、だが…」
再び、趙雲の着衣が引かれた。
「まだ、今日は山ほどあるのですよ」
「…孔明は嫌いじゃ」
ぼそりと呟いた一言まで、漏らさず聞いていたようだった。諸葛亮はさらに声を低くし唸る。
「嫌いで結構です、ですから勉強を……それから子竜殿!」
視線が僅かに上がる。阿斗から趙雲の方へ。
「怒鳴らなくても聞こえている」
「そうですか、では私の仕事を手伝ってください」
そう言うと、彼は机の上、山ほどに積まれた木簡を平手で叩く。乾いた音が部屋中に響く。
「私は武官だぞ、孔明殿」
「知ってます、でも問題ないものもあります!」
やれやれ、と呟き、趙雲は阿斗を抱いたまま、席を立った。
「これだろうか」
趙雲と阿斗、二人分の木簡を手に取り、席に戻ると、こっそり少年へと耳打ちをした。
「…阿斗様、どうも孔明殿の虫の居所が悪い様です、大人しくしておく方がいいかと思われまする」
「まったくじゃ、孔明はすぐぷりぷりとおこるからの」
「聞こえてますよ、そこの二人ぃっ!」
その叫び声は、遙か成都の城下町にまで響いていたと、後に彼らは知らされることになる。にやにやと笑う彼らの主君によって。
*趙雲が長坂で中指を負傷した傷を隠すために金の指輪をつけており、
慕う荊州の民が同じような指輪をつけていたというエピソードを知り。
- 作品名
- ゆびのわこばなし(趙雲&阿斗)
- 登録日時
- 2009/06/05(金) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他