「子竜」
呼ばれたような声がし、きょろきょろと辺りを見回す趙雲。
「こっちだこっちだ」
やがて、声のした方を振り返る。
そこには、一人の男性が胡座をかいていた。
……玉座の足元で小さな酒瓶をいくつも並べ。
「…殿、謁見の間は酒を飲む処ではないとあれだけ」
「いいじゃないか、まあ、な」
渋い顔で話す趙雲を、笑顔とつきだした手で遮り、殿こと劉備はだんだんと音を立て玉座近くの床を叩いた。
どうやら、ここに座れという意味らしい。
しかし、一介の将軍である、と言うよりそう思っている彼は戸惑い、一段高くなっている玉座の、段の下で立ち尽くす。
その表情を悟ったのか、劉備はどこからか筵を取り出し敷くと、再びそこを叩いた。
ますます、座れるわけがない。苦笑いをし、段の下に腰を下ろした趙雲。
彼は、そっと、近くの器を手に取った。劉備が持ち込んだ器のうち、横になって倒れていたものであった。
「よろしいでしょうか」
軽い笑みを浮かべると、器を床に丁寧に置く。
「好くないに決まっているだろ」
しかし、返ってきたのは僅かに苛立つ劉備の声。
そのまま彼は、いいわけない、と呟くと、一段、降り、彼の隣に、先程と同じように胡座をかいた。
慌てて立ち上がる趙雲だったが、劉備は彼を睨み上げる。
「わしだけが上に座る理由がないだろう」
そして、何事もなかったのように先程まで口をつけていた器に酒を注ぎ、一気に飲み乾した。
「ん、美味いな、流石翼弟のお薦めだ」
「殿…」
暫く彼を見下ろす趙雲だったが、やがて諦めたように腰を下ろし、慌てて自らの腰の下を見る。
「…やられました」
そう、彼の腰の下には、いつの間に敷いたのだろうか、劉備手製の筵が広がっていた。
「観念したか」
「はい」
先程までの表情はどこへやら、満面の笑みでつまみを口にし、劉備は二つの器に酒を注ぐ。
「殿には勝てません」
困ったような笑みを浮かべつつ、趙雲はそれを受けた。
「じゃあ殿っつーのも無しでな。…今だけはな」
「はい、…玄徳殿」
「好い返事だ、子竜」
彼の返事に大きく頷いた劉備は、窓の外を眺める。
「いい月です」
趙雲も見上げ、呟く。
「そういえば、雲長殿と翼徳殿は」
「常にわしは兄弟と居なければいけないのか?」
首を傾げる劉備。どうやら、ここに並んでいる以上に、彼は飲んでいるようだった。
よくよく見れば、ほんのりと顔が上気している。
「そういうわけではありません、が…」
「冗談だ、先程までここにいたが揃って酒を取ってくると行ったきり帰らんよ、…大方どこかで潰れてるんじゃないか?」
にこにこと笑いながら彼はそう言う。
「はぁ」
趙雲は器を眺めながらそれを聞いていた。…大丈夫であろうか、と呟きながら。
「まあいつものことだ、それよりもだ子竜」
「はい?」
「…元気か?」
その言葉と同時ににこにことした笑みの下に、少しだけ真剣味が加わる。
「元気、とは一体誰の」
「誰かって話じゃないんだよ」
趙雲は彼の顔を見つめ、暫く考えると口を開いた。
「…皆、元気です」
「本当にか?」
口に笑みを貼り付けたまま、劉備は訊ねる。
趙雲は、器に口をつけると、答えた。
「最近孟起殿は酒盛りの話が増えましたし、憲和殿は相も変わらずです、子均殿は…」
様々な人物の名を出し、彼自身の見た限りを話す趙雲。
「孔明殿は恐ろしい建物を私の執務室にする予定ですし、岱殿、平殿、伯約殿は訓練結果にも仲の良さが出ております」
配下達の近況を、ひとつひとつ満足そうに聞いていた劉備だったが、彼が一通り話すと、再び首を傾げる。
「…安国はどうなんだ?」
その言葉に、僅かに趙雲も首を傾げると、器を床に置きすぐに口を開いた。
「あ、安国殿は今月末より部将として雲長殿の軍に入ると決まっています」
そして、申し訳ありません、と呟く。
「いやいや、気にすることはない」
劉備はにこりと笑い、趙雲の肩を叩く。
「ただ、わし自身はおいそれと訊けぬ立場だからな、助かった子竜」
酒瓶を取り、もう一度、床に置かれた趙雲の器に酒を注ぎ、彼はそれを拱手で受け、手に取った。
「長い話をさせてしまってすまんな」
「構いません」
少し微笑むと、趙雲は劉備のそれに酒を注ぎ、二人は器をぶつけ合う。
筵を抱き、劉備は無防備な寝顔を彼に晒していた。
ふらつく頭で月明かりが照らし出すその身体に筵をかけながら、趙雲は呟いた。
「皆のことを考えてらっしゃる」
そのまま、趙雲は彼の側に腰を下ろす。
夜はゆっくりと更けていった。
- 作品名
- 光も水も、風よりも(主従酒盛り/劉&趙)
- 登録日時
- 2009/06/12(金) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他