「よーお」
馬超は扉に凭れ掛かりながら、彼に向かい手を振る。
だが、趙雲はそんな彼を上目遣いで一瞥すると、再び机の上に広がる木簡の上に目を落とした。
「何か用か」
「九日十日ってな」
「帰るか?むしろ帰るといい」
目を細め、立ち上がり、馬超の背にそっと手をかける趙雲。
そのまま、ぐっと彼の背を押し、廊下へと押し出しながら言葉を一気に口にする。
「また明日会えるといいな願っているぞ孟起殿」
そして、手を離すとそっと扉に手をかけた、僅かに笑みながら。
「わ、ちょ、待てよ子竜!」
慌て、趙雲が閉じ始めた扉に彼もまた手をかけ、力を込めると馬超は引きつった笑みを浮かべる。
「悪かった冗談だ!」
「残念ながら冗談に付き合う暇はない」
「…む、暇じゃない、か。解った、子竜、俺にも手伝わせてくれ」
扉を閉めようとする手が動きを止める。
「…ふむ」
「な、だから」
馬超は扉にかけた手に力を込めた。趙雲が力を緩めたため、がらがらと賑やかな音を立てながら扉はあっけなく大きな口を開ける。
それを眺め、趙雲は大きな溜息をつき、踵を返した。
「…邪魔をするなら容赦はしないぞ」
と呟きながら。
「よ」
馬超は机の上に広がる木簡を持ち上げると、端に結わえてある紐を引いた。
びいん。音が鳴り、真っ直ぐに伸びる紐。彼はそれを手に取ると、更に三度ほど引き、巻いた。
「子竜、出来たぜ」
更にとんとんとそれを叩き、整えると力一杯机の方へ投げる。
「孟起殿、そなたは壊す気か」
地に着く直前、それを上手く受け止めながら趙雲は一人ぼやく。そして、机の横に積み上げられた、それとは違う木簡を手に取ると馬超へとそっと投げる。
「……まだあるのかよ」
受け取りながら、彼はいかにもうんざり、といった表情で木簡を手早く広げ筆を取った。
「孟起殿」
「どうした?」
筆を木簡に滑らせながら、顔も上げず訊ねる馬超。
そんな彼を横目に、趙雲は彼の書いた木簡を広げ、頷いた。
「そなたは意外と字が綺麗なのだな」
「うるさい、俺だって一応嫡子だ」
馬超は彼を睨んだ。一方、趙雲は木簡より目を離し、馬超を横目で眺めると
「すまない」
軽く会釈をし、再び木簡に目を通す。
「すぐに謝るな」
「そうだな、…何故か、だった」
「気にするな、しかし子竜よ」
机より視線を外さず訊ねる彼に、趙雲は不思議そうに、壁に向かっている机より腰を上げる。
「どうした」
席を立った趙雲に気付き、筆を止め、彼を見上げる馬超。
「最近戦もなく、外に出ている様子もない。さっき部屋を覗いたとき、……俺はお前がてっきり文官になっちまったのかと思ったぞ」
どこか呆れ顔に、手を肩まで持ち上げると肩を竦め馬超は呟く。
だが、その呆れ顔の馬超とは裏腹に、趙雲は返事の代わりに訝しげな視線を投げた。
「……文官?」
しかし彼はその視線を気にすることなくああ!と低く大きく響く声で言う。
「最近お前が手合わせの誘いをかけぬからな、少しばかり心配していたのだ」
「…そうであったか」
頷く馬超。しかし次の瞬間に、彼は趙雲の言葉に「表情が崩れる」ほどに驚くのであった。
「ああ、そういえば孟起殿とはここのところ手合わせをしていないな」
「…へ?」
驚きを包み隠さずに吐き出す馬超、その向かいに趙雲は腰を下ろすと、そっと椀を差し出す。
頬に幾度か平手打ちのように手を当て、それを受け取る馬超。
暖かさの伝わる椀からふわりと湯気が立ち、同時に彼の鼻を茶の香りがくすぐる。
彼は、小さく趙雲に礼を述べるとそれを一口含み大きく息を吐き出し、ふう、と深呼吸をする。
「子竜、お前、さっき俺とは手合わせをしていない、そう言ったな?」
「ああ、」
向かい合い、椀を呷ろうとする趙雲を手で止め、馬超は訊ねる。
「ちょっと待て」
「何をだ」
「俺以外とは手合わせをしていると?」
一瞬、趙雲の瞳が僅かに左方に逸れ、だが馬超が問いかける余裕もないほど、ほんの少しの沈黙の後彼は頷いた。
「ああ、ほぼ負け越しだが」
「ほぼ……?」
再び頷く趙雲。
「雲長殿や翼徳あに…翼徳殿などには勝ち目がなくて、な、平殿や岱殿には白星が…」
「いや俺が訊きたいのは…と、……岱?」
僅かに、しまった、という表情をする趙雲、だが馬超はそれを見逃さなかった。
「どういうことだー!」
そして、立ち上がり力いっぱい叫ぶ。
「子竜、どういうことだ」
「…すまない、態とではないのだが」
僅かに苦笑いをする趙雲、その肩を掴み、揺さぶり、更に
「なら何故俺を誘わない」
と彼を睨みつける。
一方、趙雲は苦笑いをしたまま
「孟起殿」
と彼の手の上に自らの手を重ねた。
「それは、そなたが居ないからだ」
そのまま、肩を掴む手をゆっくりと外し、下におろした。
「なるほどな…」
頷く馬超。顎に手を当て、何かを考えている様子であった。
「確かに子竜の軍と合同訓練はなかったが…なら」
「なら、なんだ?」
そう、首を傾げる趙雲の体が、急に後ろに引かれる。
馬超が、彼の手を取り、廊下に向かい走り出したからだった。
転けぬよう均衡を辛うじて保ったまま引きずられながら、趙雲は彼の顔を見上げ、口を開こうとした。
だが、それよりも早く、馬超が口を開いた。
「なら、今手合わせしろ」
「どういうことだ」
「俺が居るからだ」
がらがらと派手な音を立て馬超が扉を開く。
「だが、孔明殿からの仕事が」
そのまま、馬超は彼の手を引いたまま、廊下へと出る。
「やはりあいつか…だが、好敵手に手合わせを断られる、なんて冗談じゃないぞ、俺はっ」
そして、彼は趙雲の方を向くと、じっと睨みつけた。
「孔明なんぞ俺がぶち飛ばしてやる」
彼はそう吐き捨て、廊下をずんずんと進む。
趙雲は、そんな彼の背中を眺めながらふっと短いため息を吐く。
「たまには、友人に付き合うのも悪くはない、か」
そっと呟いた言葉が、前の友人とやらに届いたかどうかは定かではない。
- 作品名
- 昨日の友は今日の好敵手(馬&趙)
- 登録日時
- 2009/07/04(土) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他