HAPPY NEW YEAR,AND YOU?
成都城、調理場。
工廠を臨時に改造した、馬や井闌の類が入りそうなほどに広いその調理場には、人の体がすっぽりと収まってしまうほどの大きさの鍋が、ぐつぐつと湯気を立てている。
「しかし、子龍殿、いいのですか?」
身の丈に合わぬほどの大きな包丁を手に、月英は趙雲を覗き込んだ。
決して充分とは言えぬ、調理場を照らす明かりが、彼の困ったように笑う顔を大きな包丁に映しこむ。
それは、まるで彼女が彼を殺そうとしている……第三者からそう見られてもおかしくはない光景だった。
すぐに彼のその表情に気付いたのか、彼女は慌てそれを眼の前にある調理台に置く。
趙雲は、そんな彼女を見つめると、笑みを心からのものに変え、口を開いた。
「ええ、私にとっては恒例の行事ですから。……それより、月英殿こそお疲れでは?」
彼の言葉に、月英は首を横に振り、包丁を手にすると、調理台の上の野菜に向かって振り下ろす。
「暫く戦続きでした故、料理など、楽しくて仕方がありません」
彼女の言葉を耳にしながら、趙雲はぐらぐらと煮え続ける鍋の方へと振り返る。
「好い具合だな」
そんな彼の耳に、月英とは違う方向より、声が掛かった。
「へえ、子龍殿、良妻ですね」
「冗談も大概にしてくれないか孔明殿」
振り向きもせず、彼はそれに答えた。……近くのひっくり返された壺の上に座る諸葛亮の言葉に。
「本気ですよ?ねえ、月英」
「なぜ私に振られるんですか」
どん、という音が響く。月英が野菜を刻んでいるのだ。
「本気だとしたらなお質が悪い、……そもそも孔明殿は何故ここに居られる」
「嫌ですねえ、宴会が嫌に決まってるからじゃないですか」
彼の言葉に、趙雲はじとっとした視線を投げる。
「で、愛弟子を放置でこちらに逃げてこられたのですか」
「放置ではありません、伯約はご機嫌で翼徳殿と飲み比べを始めたので……」
彼の言葉にふう、と溜息が調理室に落ちる。
「……孔明殿の言い分は解った、ならばこれを」
溜息の主、趙雲は鍋から何かを掬い上げ椀に放り込むと、別の鍋より茶色の液体を軽く引っかけ、箸と共に彼に渡した。
「味見を」
笑顔を浮かべ、それを受け取る諸葛亮。
「外れなんてなさそうなんですけれどねえ」
「形式的なものだ……ああ、後毒味も兼ねている」
右の口の端を上げ、趙雲が呟く。もちろん、三人しか居ない調理場で、諸葛亮・月英の夫婦がそれを聞き逃すはずもなく、え、と声をあげ、彼の顔を見つめるのだった。
「毒でも仕込んでいるのですか」
大きな菜箸で、彼自身も鍋の中身……細く切られた麺を掬い上げると
「無いが仕込みたいと思ったことは結構あるな」
口に含んだ。
「……いつですか」
どこか納得したような顔で訊ねる月英。
「そうだな、毎年この時期になると仕事を邪魔されるもので、な」
諸葛亮も、微笑を浮かべながら椀の中身を口にし、呟いた。
「はい、例年通りですね……美味しいです」
彼の言葉に、趙雲と月英、二人は笑みを浮かべた。
一方成都城、会議室。
いつもは軍議のため、机がきちりと並べられているその部屋も、今は無礼講の場と化していた。
いや、それすらも過去形であった。
劉備と関羽が壇上にて肩を抱えあったまま壁に凭れ、大鼾を上げ、夢の世界を楽しんでいる横で、彼の部下たちは動かない。
絨毯は酒や料理にまみれ、もはや汚物がないだけまともであると言い切れるほどに惨状と化した宴会場で生き残っていたのは、馬超と張飛、二人だけであった。
その馬超も、朦朧とした頭を振るいながら、近くに倒れる青年、姜維に近寄った。
「おーい、伯約さーん、起きてくださいよー」
その頬をぺちぺちと叩きながら、馬超は俯せのままの姜維を横向きに転がした。
「うう……母上……あと少しお待ちください」
あらぬところに手を伸ばし、必死に何かを掴もうとする姜維、その彼の手から逃れながら、
「誰が母上だよ……お?そういや、翼徳…殿、子龍の奴どこ行ったか知らないか?」
馬超は横でなおも壺から酒を飲む張飛に訊ねた。
「誰にきいてんだ?おい」
その彼も、眼が座り、表情が、限界が近いことを示していた。
しかし、それでもがはは、と豪快に笑うと、
「ああ、アイツはアレだ、年越し準備に工廠にいるぜきっと…っぷ!」
と馬超の肩を叩いた。
「そろそろだな、行ってこいよ」
「は?」
「は?じゃねえ、行けば解るんだよ」
馬超は肩を竦めた。きっと、張飛は説明が面倒なのだろう。ならば、自ら動いた方が早い。
そう、とっさに判断し、彼はその場を立った。
「子龍んとこだな?」
張飛に聞こえるように、自然と大声になった。
「……ん?しりゅうか?」
その声に、壇上の劉備が目を醒ます。
「……玄徳殿、お目覚めか」
目をこすりながら、劉備は馬超を認めた。
「ああ、孟起殿か……今から子龍の所に向かうのか?」
彼は頷いた。
「そのつもりだ」
劉備の顔が笑みに変わる。
「ならば頼み事があるのだが……聞いてくれるか?」
「何だ?」
「私の分も……」
言葉を切り、劉備は周りを見渡した。
「いや、孟起殿が帰る前に全員を起こしておこう、だから丸ごと持ってきてはくれないか?」
劉備の言葉に、頭に疑問符を浮かべながら、馬超はああ、と頷いた。
「……それから、子龍、孔明、月英殿も忘れぬようにな」
「……と言われたが……どういう事だろうか」
工廠の扉の前、馬超は俯き立っていた。
「持ってきて…とは言われたが」
「何をぶつぶつ言っているんだ」
頭の上からかけられた声に、馬超は顔を上げた。
そして扉の前に立っている趙雲と目があった。
「……ぬわっ!なんだ子龍!話しかける前に声をかけろよな!」
「わけの解らない注文だな……どうしたのだ?」
「あ、ああ、実はだな」
「成程」
馬超の話を聞き終わった後、趙雲は大きく頷くと後ろを振り返った。
そこには、一抱えもあるような鍋を手にした月英が立っていた。
彼はそれを手にすると、馬超の横を通り過ぎた。
「お、おい、子龍」
「なんだ?」
彼の肩を掴む馬超。
「お前、なんだか解ってるのか?」
勿論だ、と頷く趙雲。
同じく鍋を手にした月英と、諸葛亮も同意の頷きを彼に返す。
「そうでしたね、孟起殿はここの正月は初めてでしたね」
鍋の中身を覗きながら諸葛亮が口を開く。
「玄徳様が、これがないと年が越せないと仰るんです」
と、これは月英。
「……成程、それで……で、それは何だ?」
首を傾げる馬超に、月英は鍋のふたを取り、彼に見せた。
「黄家自慢のうどんです」
「ああ、やっぱりこれだな!」
先程までの熟睡ぶりはどこへやら、ご機嫌な笑みを浮かべ麺をすする劉備。
彼から少し離れ、頭をふらふらさせながらもかぶりつく姜維。
そんな彼らを眺めながら、馬超もまたそれを口にした。
柔らかい塩味と、もちっとした麺が酒に疲れた喉を優しく滑っていく。
「美味いな」
「だろ?俺ぁこいつが楽しみでな…おい子龍!」
彼の隣で張飛が椀を突き上げ、すぐさま趙雲が鍋を手に駆け寄る。
「子龍」
そんな彼に、声をかける。
「どうしたんだ?」
箸を動かしながら声だけは馬超に向ける趙雲。
「お前、これずっとやってんのか?」
「まあ、そういうことだ」
木の杓で汁を流し入れながら、趙雲は頷く。
「嫌じゃないのか」
「……気にはならないな……不味い方が私にとっては問題だ」
その時であった。
劉備が立ち上がり、皆さん!と大声を張り上げる。
彼は、続けた。
「私は不甲斐ない君主かもしれないが、今年もよろしく頼む!」
静かだった宴会場に、拍手喝采が起こる。
つられて拍手をしてしまった馬超、彼の耳に、そっと趙雲が近づく。
そして、彼が何事かを呟いたことに馬超が気付いたときには、彼は鍋を手に、諸葛亮と話をしていた。
それを見た馬超は、首を傾げると、にやりと笑い、一気にうどんを呷った。
「嫌ではないが、酒があまり飲めないのが……後ほど付き合っていただけると嬉しい」
- 作品名
- HAPPY NEW YEAR,AND YOU?(趙雲&諸葛夫妻メイン馬趙寄り/年越宴会)
- 登録日時
- 2010/01/01(金) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他