「伯約殿」
名を呼ばれ、振り向いた姜維の鼻がこつん、と趙雲の肩に当たる。
かなり勢いよく振り向いたのか、彼は趙雲の視線の事などお構いなしに鼻を押え、くしゃみをひとつ起こした。
「…あ、すみません、……どうしました…か?」
どこか怯えた目をした彼の肩を抱き、勢いよく自らの方へ引き寄せる。
「し、しりゅ…!?」
怯えていた目を一瞬にして驚きの色に変え、子竜殿、と名前を呼びかけたその声は、彼の肩の少し横を勢いよく飛んでいった麻雀牌に遮られる。
肩から手を離し、趙雲は顔色を変えずに呟く。
「私が間違っていたのだろうか…」
しかし、その呟きは他方面より響く怒鳴り声により遮られた。
Who is "Go out"?
事の起こりは数時間前、前回の軍議より数日の後、とある満月の夜であった。
物置を片付け、漸く机だけを…半ば無理矢理にねじ込んだ小さな部屋の中、ふ、と溜息をつき、趙雲は書を文机に広げ、首を左右に傾げた。
「翌日までに纏まるだろうか」
一人呟き、筆を取る。それは、字の読めぬ王平に頼まれ、概略を書くように頼まれていた書であった。
「…しかし、子均殿も何故私に頼まれるのだろうか…」
などと呟いてみても、引き受けてしまったことであるため、それ以上は深く考えず、彼は部分の抜粋をするため筆を動かし始めた。
が、静かな満月の夜は、あっという間に曇ってしまう。
「子竜殿!」
と、物置と自室を繋ぐ暖簾をくぐり、入ってきたのは
「伯約殿…」
だった。
姜維は、顔一面に焦りの色を浮かべ、きょろきょろと物置の中を見回し、やがて彼を見つける。
彼が口を開く前に、趙雲は先制の一言を口にした。
「…一体どうしたというのか…いや、訊きたくはないが」
「すみません、実は…」
そこで言葉を切り、姜維は暖簾を手で掬い上げた、まるで、見れば解るとでもいった具合に。
…伸ばした手の先、促すような視線に誘われるまま、趙雲は暖簾を越え自室に顔を覗かせる。
お互いに睨みつける二人の、青年とも呼べる男性。
その二人より漂う刺々しい空気に圧され、どうしたものか、そう呟いた趙雲に、部屋の中に腰を下ろしていた二人の男性は一斉に彼の方を振り返った。
四つの瞳に見つめられ、少しの間を置き彼は言葉を口にした。
「ようこそ、孔明殿、…そして孟起殿」
その声は、どこか固かったが、彼ら、諸葛亮と馬超は意に介した様子もなく、再び睨み合いに戻る。
「部屋に入ってからずっとこんな調子です」
苦笑いしながら溜息混じりで呟く姜維、睨み合いのままびくとも動かない諸葛亮と馬超、そんな彼ら三人を眺めながら、趙雲は姜維に訊ねる。
伯約殿、麻雀は出来ますか?と。
「で、見抜けなかったのですか?」
不思議そうに首を傾げながら、姜維は趙雲の袖を引く。
空を舞う点棒を躱すため彼の側に寄り添い、趙雲は首を横に振った。
「まさか」
点棒や牌に混じり、様々な物が飛び交う部屋。
「孔明殿がいかさまも出来るなんて知らなかったからな」
「ですよね」
うなだれる姜維。
彼の横で趙雲が見つめる先、手当たり次第に物を投げつける諸葛亮と馬超の二人。
「…しかも孟起殿の負けが込んでいる時だというのに」
「それにしても」
姜維が顔を上げる。
「あそこまで感情を露わにした孔明殿を初めて見ました」
「それは意外な話だ」
流れ弾を躱すため、左右に揺れながら、趙雲は諸葛亮を眺める。
「てっきり弟子である伯約殿と幼常殿にはこんな感じだと思っていたが」
「では、いつも子竜殿には」
「言いたい放題、叩き放題、暴れ放題だ」
その時であった。右に避けた趙雲の、本来在った場所を小刀が飛んでいき、鈍い音を立てて壁に突き刺さる。
軽く息をつき、馬超は目の前の諸葛亮を睨んだ。
「…場の間中に見抜けなければいかさまとは呼べませんね」
諸葛亮はにやりと笑みつつも手に次の投擲武器を手にしている。
「いかさまをしていたことは認めるんだな」
同じくにやりと笑う馬超。
二人は気付いていた、この一投が最後の戦いになると。
頷き、彼らは一斉に構えた。
が、それが手から放たれることがなかった。
「ん!」
「げ!」
首を絞められ、二人の男性が絞り出すような声を上げる。
「孔明殿、孟起殿」
「やぁ子竜」
右手を軽く挙げ、彼の方を向く馬超と
「どうかしましたか?」
さりげなく羽扇で馬超を叩く諸葛亮。
そんな二人の顔を覗き込み、趙雲は訊ねた。
「喧嘩は落ち着いたか?」
二人が揃って口を開いたその時、趙雲はそれよりも早くにこりと笑い、
「本日より五日間、孔明殿、孟起殿の出入りを禁止する」
そう言い放ち、二人の首根っこを掴んだまま扉の方へと歩き出す。
「な、なにをするのです子竜殿」
「そ、そうだ、苦しいぞ子竜!」
しかし趙雲は二人の声を無視すると、拳を振り上げぷりぷりと怒る二人を扉の外につまみ出し、
「五日間反省してきてくれ」
そう言い放つと扉を閉めた。
その後、片付けを始めた趙雲を見、小刀に手を伸ばす姜維。
「抜けませんね……すみません」
牌を順に並べながら、趙雲は答える。
「伯約殿が気にすることではないが、明日」
「明日?」
「子均殿に共に謝って欲しい、頼まれていた物が終わらぬ故」
机の下を覗き込み、趙雲は呟く。
「構いませんよ…ところで五日間と仰ってましたが…追い出してよかったのですか?」
暫く考えた後、頷く趙雲。
「ああ、だが」
「ですが?」
「…三日も保たないだろうな」
姜維は振り返る、そこにいる趙雲は、苦笑していた。
そして、彼のその言葉が現実になったことを、翌日趙雲の部屋に入った姜維は知るのであった。
- 作品名
- Who is "Go out"?(蜀軍オール/続き物2/3)
- 登録日時
- 2009/04/23(木) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他