ことん、と小さな槌の転がる音が中庭に響く。
空を仰ぎ、諸葛亮は一つため息をつき、額に流れる汗を手拭いで拭った。
「…できました」
成都城には珍しい、広がる青空を仰いだまま、彼はにやりと笑った。
a room,the accident.
「どういうことですか?」
私が首を傾げると孔明丞相はふふっ、と微笑みました。
私の横では子竜殿が無表情で丞相を眺めています。
おそらく、どう反応していいのか解らず、丞相の出方を窺っているのだと思います。
「どういうこと、と言われましても、今言いましたよね?」
…丞相の目が「解らないんですか?」と語っています…。
私が言葉に詰まりもごもごと口の中で言葉を回していると子竜殿が丞相の名を呼びました。いつもと変わらぬようでありながらどこか呆れたような口調です。
「おや」
「…どういうことだ、あまりに唐突で私にも訳が解らぬ」
子竜殿の言葉を聞き、丞相はふーう、と大きなため息をつきました。
「まったく、揃いも揃いて…それでも弟子ですか」
「弟子になった覚えはない」
「違いましたか」
「違う」
「本当ですか」
「違う」
「いやに機嫌が悪い…夫婦喧嘩ですか」
「…違う!」
低い声に続いて大きなため息。もちろん子竜殿のものです。
おそらくは…呆れているのでしょう。
とにもかくにも、このままだと話が進みません。私は、勇気を出して、
「あの、孔明丞相?」
と訊ねてみました。丞相は、私の方を向くと忘れてたと言わんばかりに目を丸くした後、
「ああ、伯約…そうでしたね」
あわてて取り繕っておりました。…酷いです。
「今日、子竜殿をお呼びしたのは、お部屋のことです」
軽く落ち込んでいる私を尻目に、丞相は目の前に広がる謎の物体を指差しました。
そう、遅れましたが、私たち三人が居るのは成都城の中庭です。
そして、謎の物体はその緑広がる中庭にそびえ立っているのです。
「この前、お邪魔した時に、失礼ながら部屋が狭く感じました」
歩きながら、それを見つめ、丞相はゆるりと語ります。
「というわけでして、勝手ながら子竜殿の執務室を作らせていただいたのです」
「え」
私の口から出た言葉はそれでした。え。
慌てて隣を眺めれば、子竜殿も口の形を「え」にしています。あ、やはり理解できなかったのですね。
そんな子竜殿、私の見ている横で、口の形を直しました。そして
「思い切り端折りましたか」
と丞相に呟いています。
「…理解されないから天才なのです」
「面倒だからだろう」
「解っているのなら話は早い」
「少しは否定してくれ」
「で、この建物がそうなのです」
丞相はにいっと笑うと謎の物体をぽんぽん、と叩きました。
「へえ…」
私はその物体、改め、建物、いや、子竜殿の執務室らしきものを見上げました。私の隣で同じように見上げる子竜殿が、面倒なことは聞く気がないのだな、と呟いているのは聞かない振りをして。
「お気に召せばいいのですが…」
丞相はそう仰ると、執務室の扉を開き、手でそっと私と子竜殿を促しました。
丞相のすすめるまま、扉に手をかけ、私は子竜殿のほうを振り返りました。
「入りますか?子竜殿」
「ああ」
子竜殿は私に向かって頷きました。
「なかなか悪くはない」
子竜殿が壁を叩きそう言うと、丞相は満面の笑みを浮かべ、そうでしょう?と仰いました。
確かに。そう思いながら私は執務室になるであろう部屋を眺めました。
丞相ひとりで、しかも多忙な合間を縫って建てた、とは今聞いた話ですが、そのような説明が信じられない程の光景が私の目の前に広がっています。そんな、立派な建物だったのです。
「孔明殿ひとりで作られたとは考え難いな」
まあ、と丞相は一拍置くと胸を張ります。
「仲良くさせていただいている兵長殿の手伝いはありましたが」
それでも、少人数で建てたとは、未だ信じ難い、しっかりと石の組まれた壁に、私は目を向けました。
その時でした。
「……ん」
その壁の、とある一点に、私の目は釘付けになってしまったのです。
不自然に、四角く、出た岩。
あまりにも不自然で、設計の間違いなどではなさそうです。私は丞相を振り返りました。
「とはいえ、苦労はいたしましたよ、臥竜崗とは勝手が違いましたし…」
…駄目です、子竜殿に説くのに夢中で、私の視線には気付かれる様子がありません。
暫く丞相を見つめておりましたが、埒があかないようなので、私はその岩に、そっと触れました。
「…ですから、趣味と実益を兼ね、城攻めに対抗するための罠…」
かたん。指が触れた瞬間、何かがぶつかるような音を立て、岩はするっと、あっさりと壁の中に収まってしまいました。
「え、と…?」
私が首を傾げた瞬間でした。
「伯約殿っ」
誰かが私を呼びます。しかし、それに返事を返す間もなく、私の腹部に重い衝撃が入ります。
私は、その衝撃を受け、くの字に身体を折り後ろへ弾き飛ばされました。
頭の後ろで、何かが解ける感触、そして同時に、背中に受けた衝撃で腹部より何かがこみ上げて来るのを感じ咳き込みながら。
私は、そのままゆっくりと意識が遠くなるのを感じ…
「伯約殿」
…おや、誰かが呼んでいます。その声は、繰り返し私の名を呼び、意識の底なし沼から私を引き上げました。まだ、あちこちが痛みます。ぎしぎしと音を立てる首にむち打ち、私は声の方を向きました。
それは、子竜殿でした。はらりと、私の肩に、顔に髪が舞い落ち、心配そうな子竜殿の顔が僅かに隠れます。
…おそらく、先程の解ける感触は、髪を留めていた紐が切れたのでしょう。しかし…何によって?
あらためて、私は子竜殿を見ました。私をまだ心配そうに眺めていた子竜殿は、髪で隠れた私の顔を覗き込み、大丈夫か、と一言短く訊ねました。
「…大丈夫です」
子竜殿を見つめ、そう答え、安心したかのように子竜殿が表情を緩めたその後ろ、大きな岩が転がっていることに、私は漸く気付いたのでありました。その岩の下には、私の髪留めの紐が、挟まっています。
「し、子竜殿」
私が「それ」を眺めていることに気付いたのでしょう、子竜殿は振り返りました。
そして、丞相を睨み、一言呟きました。どういうことだ、と。
「ですから、趣味と実益を兼ね、です」
「趣味で罠を…いや、いい」
私の無事を、再び訊ねると、子竜殿はゆらりと立ち上がりました。
「伯約殿、立てるか」
「あ、はい」
「ならば頼み事があるのだが」
私は、ふらつく頭で、立ち上がりながら首を傾げました。
「なんでしょうか」
「衝車を借りてきてはくれぬか、投石機もあればいい」
一瞬、私の中で、その言葉の理解が遅れました。
その隙を突いてか突かないか、丞相が
「…何をする気ですか子竜殿」
そう、お尋ねになるのです。
「決まっている、このような建物で執務が出来るか」
「私の努力を無にするつもりですか!」
丞相が声を荒げました。
「孔明殿は私の命を無にするつもりか」
しかし子竜殿も負けてはいません。二人は、ぐぐぐ、と睨み合うのでした。
そんな、二人の一触即発な空気に、私は思わず腰が引け、足が少し下がりました。
その時です。
かちり。
何かを踏みつけた様な感触に、私が下を見た瞬間。
「しりゅ…!」
子竜殿、孔明殿、と名前を呼ぶことすら間に合わないような速さで、どこからともなく握り拳大の砂袋が飛んできました。
そして、それは鈍い音を立て綺麗に二人に命中し、子竜殿と丞相は、綺麗に倒れました。
こうして、ちょっとした騒ぎは、こっそりと幕を下ろしたのです。
…ちょっとした、「触れてはいけないこと」を作りながら。
- 作品名
- a room,the accident.(続き物3/3)
- 登録日時
- 2009/07/26(日) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他