つくづく、自分は時機の悪い人間だ、そう廊下に立ち尽くし趙雲は窓の外に目を向けた。
四方八方に瞳を光らせ、動かし続ける青年、趙雲にとっては仲間であり友であり、だが同時に悩みの種でもある青年、その彼がひたすらに呼び続けるひとりの少年の名、それを耳にした瞬間、逃れる事はまず不可能だと察したのだった。
「子竜殿」
案の定。彼は視線を拡がる曇り空から城内へと戻した。
「……どうしたんだ」
彼の前までつかつかと歩み寄ると羽扇を弄りながら探していました、と落ち着いた声で答える青年、だがそこには僅かに焦りが含まれていた。
「子竜殿、阿斗様を見ませんでした?」
趙雲は首を横にふる、知らないが、と口にしながら。
「そうですか」
ふ、と溜め息をつき、そばにある台を羽扇で指す。
座らないかということらしい、断る理由もない趙雲は大人しくそれに従う。
「阿斗様に何か用なのか?」
彼の横に腰を下ろす青年…孔明はその質問に先程より大きな溜め息を添え答える。
「……算術の勉強の時間です」
「つまりは」
「逃げられたのです」
ふうっ。大きな溜め息がまたひとつ。
「城からは?」
「おそらくは出ていないかと」
孔明は言葉を切り、窓の外を眺め、皇太子が逃げたら大騒ぎになりますからね、そう付け加えた。
「とはいえこの城は広いな」
「ええ、広いです……子竜殿、」
「断る訳にはいかなさそうだな」
「迷惑おかけいたします」
彼の言葉に、礼の積りなのか、軽く首を傾げる孔明。
「とはいえ、何処を探せばいいものか」
訊ねる様に、あるいは独り言の様にも取れる口調で呟きながら彼は台より腰を上げた。
その時だった。
「子竜!」
甲高い、女のような、子供のような声が彼の字を呼んだ。
「阿斗様!」
孔明も弾かれた様に立ち上がる。
びくっ。声の主を探していた趙雲の視界に、何かが震える姿が入った。
「阿斗様」
壁に半身を隠すように覗いていたそれは、趙雲と彼の傍にいた孔明をはっきり認めると、暫し動きを止め、辺りを見回す。
きょろきょろと見回し、弾かれたように飛び出し趙雲の足許に飛び付いた。
「子竜、」
「阿斗様」
何かを訴えかけようとしたその声は、困り果て未だ眉間の皺の取れていない孔明に破られてしまう。
「そのようなところに居られましたか…先生がお待ちです」
「嫌じゃ!」
大きな声…顔こそ見えぬがきっと真っ赤になって叫んでいるのだろう、
「嫌じゃ嫌じゃ!算術の勉強なんて嫌いだっ」
趙雲はしがみつく手の力が強くなるのを感じながらも天井を仰ぐ。
今、何かを口にするのは避けた方がいい、そう感じての行動であった。
「父上も孔明も勉強ばかり申す!私は子竜と遊びたいのじゃ!」
それきり言葉は途絶え…答えを求めるような、灼かんとせんばかりの視線が彼に突き刺さり、趙雲は少しだけ、胃が痛むような感覚を覚えた。
暫しの沈黙の後、
「殿下」
趙雲は膝をつくと落ち着いた口調で阿斗に話し始めた。ずっと瞳を反らしていた彼の行動に、阿斗の瞳は期待にぱあっと輝く。
「では遊ぶ約束をしましょう」
「本当か!?」
趙雲は頷く。
「その代わり勉強をきちんと終わらせてからですよ?」
「あ、ああ!」
彼につられたように阿斗もまたこくこくと頷く。
「約束する、子竜との約束は決して違えぬ!」
「いい返事です、それと」
それと、という言葉に阿斗の冠がぴくっ、と反応した。
「な、なんじゃ?」
少し驚いたような目で彼をみつめる。その子供独特の大きな瞳に映る趙雲が、彼を安心させるかのようにふっと笑んだ。
「孔明殿は私の大切な友人、あまり苛めないでやって欲しいのです」
きょとん、と趙雲をみつめる少年だったが、やがて納得したように大きく頷くと自室に向かい駆け出した。
…やれやれ、午後の部隊鍛練は中止か。内心そうぼやきつつも彼の後を追おうとしたその時。
「大切な友人、ですか」
呟き声が耳に入り彼は思わず振り返る。
「意外ですね、私がその様に思われていたとは」
「わざとらしいな」
「そうですか?」
そのまま二人とも口を閉ざす。が、暫しの後に孔明が堪らないといった調子で笑い出す。
よほど彼の「つぼ」に嵌ってしまったらしく、止められぬ笑いを、それでも堪えながら彼を追い越す、その瞬間に孔明から発せられた言葉に、趙雲は思わず眉をひそめるのだった。
「友人と言ったこと、後悔なさらないでくださいね?」
- 作品名
- Rendezvous with my Prince
- 登録日時
- 2008/12/16(火) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-孔明&趙雲