「子竜殿、お願いがあります」
木簡から顔を上げず、したがって伏し目がちに彼は趙雲を見上げ、彼の顔をうかがう。
「命令なら、解りやすく言ってくれ」
彼に背を向け、得物の穂先に息を吹きかけていた趙雲は、そう応えた後、孔明殿の言い回しはややこしくて敵わぬからな、と続けて呟く。
「では単刀直入に」
こほん、と、趙雲の後ろで咳の音がひとつ。
「同衾して下さい」
石畳に金属のぶつかる音。おそらく、趙雲が得物を落としてしまったのだろう。
しかし、そんなことなど気にする余裕もないのか、趙雲は慌てて諸葛亮の方をふりかえり、
「何を言う」
と口にする。だが、諸葛亮にとっては想定のうちであったのか、まったく動じる様子もなく、淡々と
「殿に聞きました、かつて殿の主騎であった頃に幾度か床を同じくしたとか」
答えるのであった。
「ああ、あるが…まさかそれを聞いて孔明殿は」
転がったままであった得物を拾いながら、趙雲は訊ねる。
「悪いですか」
「いや、悪くはないが…いくら私が申し上げたとはいえ、孔明殿にしてはいやにはっきりと仰る」
とりあえず、と得物を立てかけ、趙雲は立ち上がる。
「貴方に言葉の飾りは意味を成しませんから」
そのまま、諸葛亮の座る机の前まで歩み寄ると、
「信頼されたものだ、で、どうする、私は構わないが」
腰を下ろした。
「そりゃあ、私が言い出したことですから…」
口を開く諸葛亮だったが、趙雲の言葉に遮られた。
「そうではなく、命令かお願いか、『それ』はどちらだ」
趙雲の発した言葉に、諸葛亮は目を開くと丸くし、だがすぐに、すうっと細めた。
「…飾りの言葉なんて、意味を成しませんから」
お願いですよ、そう呟き、諸葛亮は口の端を僅かに上げた。
月の光が、窓枠からこぼれ落ちる、満月の夜。
徐ろに瞳を開いた趙雲は、ゆっくりと手の甲を自らの額に押し当てた。
隣では、若い、…趙雲は「幼い」とすら思っている…青年が趙雲の片腕を抱き、すうすうと寝入っていた。
「やれやれ、若い夫婦ではないのだが」
青年を起こさぬよう、独り呟くと、彼は青年、諸葛亮の顔を覗き込んだ。
おそらく、何か仕事に追われる夢でも見ているのだろう。
彼の手は筆を持つ形に握られ、先程からひっきりなしに震えている。
暫く、それを眺めていた趙雲だったが、やがて彼も瞳をゆっくりと閉じた。
そして、明日は、仕事を取り上げようか、と思いながら、彼の意識も再び夜の闇に解けていくのだった。
- 作品名
- 小さな願いに依ると(趙雲&諸葛亮)
- 登録日時
- 2009/09/24(木) 00:00
- 分類
- 文::小ネタ・ジャンル混ぜ