青年は廊下で一人の少女と出会った。
暫し会話を交わした後、彼女は彼にそっと一枚の布を手渡した、元気になったら顔を見せてくださいという言葉と共に。
「孔明殿?」
抑えきれない靴音が気配と共にやってくる。
背を向けて眠っていた私はそれが誰であるか解ってはいたがそれを確実にしたく寝返りを打とうと頭を動かそうとした。
だが重たい頭は全く私の言うことを聞かず気だるさだけを返してくるのだった。
微動だにしない私に彼は眠っているのか?と呟くとそっと額に手を添えた。
この男は私がどのような状態に有るのか気付いていないと言うのか…。
ただでさえ苛々が限界に達していた私の出来る唯一の抵抗、頭でその手を払うという行動は彼がそれより先に手を離した事によりむなしく終わった。
そのまま、気配が僅かにさがる。
「仕方ない、起きた時に説明するか」
ふう、というため息と共に何か布のようなものが広がる衣擦れの音が耳につく。
「おや」
何をしているのか。
「少し解れているな…英殿は裁縫が苦手のようで」
重たい頭のせいで窺うことが出来ずにいる自分が少し憎たらしく感じた。
熱が上がりそうな自らの額を押さえ込みながら声に出来ないため息をついた。
独り言に耳を澄ますなんて私は何をしているんだろう?
そんな自問を知ってか知らずか、かたかた、と木の擦れる音。
あの音は角の椅子、か。
彼は何をするのだろう。膨らみ出した好奇心が面倒がる自らに言い聞かせる。
面倒、然し彼は何をしているのか、面倒…やがて頭の中の論戦の流れが好奇心に傾き始めたその時だった。
「つ」
彼が唸った。
暫くして、もう一度、もう一度。
「またか」
結局、五度ほど唸り声を繰り返し、彼は大きくため息をついた。
「酷いものだ、英殿にも謝らなくてはならないな」
どこか自嘲的な呟きと共に私の布団の上に何かが被さる感覚。
そして遠くから彼の名を呼ぶ声。
良く通る高い声は、私も彼も良く知った少年のもの。
彼に探し当てられ、風邪をうつしてはいけないと私が思った瞬間、彼もそう思ったらしくすぐに気配が消える。
再び一人きりになった私は、ゆっくり、時間をかけて布団の上のものを確認する。
それは私の妻の髪を思い出す鮮やかな薄茶の上掛けだった。
……城に来たのだろうか。あるいは……
等々考えながら起き上がることすら面倒だった私はそれを手で掴み、抱き寄せる。
「あ」
指通りのよい布、おそらくは彼女の趣味のひとつである絹のものだろうが、端の方が妙に指に突っかかる。
引き寄せて確かめ、私は思わずくすりと笑い、それを抱き締める、そして後でからかってやろう、と密かに心に決めるのだった。
僅かに心に点る熱は見ないふりをして。
あまり綺麗とは言えぬ縫い目の中、
一際目立つように「縫いたかったのだろう」糸の塊がくっついていた。
- 作品名
- 裏側で。
- 登録日時
- 2009/01/10(土) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-孔明&趙雲