ふうっ、と彼は息をついた。
川のない地域とはいえ、こうも綺麗に沈まれるとは思っていなかった、と内心ぼやく。
二つの泡が立ち上る水中より、腕を引き上げながらふ、と後ろを振り向く。
彼の視線の先、白い扇をはためかせた青年が面倒くさそうに長い長いため息を投げて寄越す。
その瞳が、私には関わらないでください、そう訴えているように見え、彼は思わず呟いた。
「なら、何故付いてくる」と。
「何か仰いましたか、子龍殿?」
鋭い眼光がすぐに彼、趙雲を捉える。
「何も申し上げてないが」
彼の眼光を完全に無視し、趙雲は目の前に転がる二人の青年のうち、よりぐったりしている青年…この面子の中では一番幼い青年の身体を抱くとうつぶせに膝に載せ、ぽんぽんと背中を叩いた。
in the river
そもそもの始まりは、数時間ほど前に遡る。
なんだかんだと集まることの多い彼ら。
今日も今日とて話に花が咲いていたのだが、話が赤壁の方に至ったとき、ふと首を傾げながら姜維が呟く。
「船など怖くはありませんか?」
…まさか、と問いを口にした趙雲に、嘘偽りのない、まっすぐに彼を見つめる四つの瞳たちは、異口同音に、そのまんまといえばまんまな答えを発した。
「大きな河で泳いだことがない」と。
ならば、と、趙雲が近くの…それでも大きめの河での水練を提案したのであった。
そこまでは彼にとってはよかった。
では、と出発しようと一歩を踏み出そうとした、その足が、
「げ」
背中に急にかかった重みに耐えられずに空を切り、元の場所に着地する。
「何か用なのか」
その重みの主が誰か、彼には解っているようであり、振り向きもせずに訊ねる。
「私も連れて行ってください、泳げないんです」
「またまた嘘を」
肩の重みを払いながら彼は振り返る。
彼の予想通りの人物が、そこには居た。
「丞相」
彼らを見つめる青年のうち、黒髪を丁寧にまとめた方が趙雲の後ろに立つ人物の役職を口にする。
「…孔明殿の庵の近くは河だらけだったと聞いているが」
「私は運動が苦手でしてね」
「つまり?」
横から会話に割り入ってくるは一人残されていた青年。
「簡単な話一緒に泳ぎたいそうだ」
溜息混じりに呟く趙雲。後ろに重みを感じたその時から、そうなることは覚悟していたようだった。
「なーんだ、じゃ気にすることないだろ?」
「まあ、そうなのだが」
「じゃあ丞相も一緒ですね!」
孔明と共に万歳をするまとめ髪の青年。
そして、河に到着したところで冒頭に戻るのであった。
「孟起殿、息はあるか?」
趙雲は幼い、まとめ髪の青年、姜維の腕がぴくぴくと動き出したのを眺めると、すぐに隣の青年の背を叩く。
「あ、ああ、悪いな、子龍」
こちらの復活は早く、げほ、と水を吐くと、むくりと身体を起こし、再び正義だ、と河に突進する馬超。
「あ、孟起殿!」
ざばざば、と波音を立てながら河に入り、彼はくるりと振り返る。
「ん、どうした子龍」
未だうつろな目で趙雲に抱きつく姜維を抱えながら、彼は孔明の隣の怪しげな木の固まりを指差した。
「木牛だ、あれで少しは浮くはずだ、あと」
「なんだ?」
馬超はどこかつまらなさげに陸へと向かいながら、趙雲に訊ねる。
「兜を外した方がいい」
ちゃばちゃばと上がり続けていた水しぶきが止まる。
とんっ、と足をつく姜維。すぐに趙雲と繋いでいた手を離し、どうですか?と訊ねる。
相好を崩し、悪くはない、と呟く。
「泳げているではありませんか」
あらぬ方向からかかる声に、目を丸くし、岸の方を振り返る二人。
「丞相!」
「孔明殿」
そこには孔明が彼らを見下ろし、優雅にたたずんでいた。
「流石私の弟子」
「ありがとうございます!」
思い切り頭を下げる姜維。
「誰が教えたと」
「何か?」
「いえ?」
にこりと笑う孔明と趙雲。
やがて、どちらともなく視線をずらしたのを切欠に、孔明は趙雲のそばに腰を下ろす。
「で、あれは」
その言葉に、孔明の視線の先、一人の青年に視線が集まった。
「あれは」
その青年はちゃぶちゃぶと水に浮く木牛に乗っては飛び込みを繰り返していた。
身体をひねったりしている様子を見るに、どうやら「水上の形」を研究しているようであった。
「溺れたら話にならないような気もしますけどねぇ」
呟くと、孔明は溜息をついた。
「そういえば孔明殿」
「丞相」
「どうしたのです?」
彼は呼んだ二人の顔を見つめるより前に、二人の青年が彼の両腕をがっしりと掴んだ事に気付いた。
が、既に遅し。
先程まで木牛と戯れていた馬超もこちらに泳ぎ来る。
「よ、孔明殿!」
彼が片手を上げる。しまった、罠だ、そう思ったが、思うより先に、彼は気泡と共にぬるい水に包まれる。
「…まさか本当に泳げないとは思わなかったな」
夕焼けの朱が世界を染めていく中、青年を背負いながら趙雲は呟く。
「丞相、すみません!」
謝りながらそれに付きそう姜維と
「意外だったなー!」
と木牛を牽き笑いながら続く馬超。
だが、彼らにとっての一番の意外は、さらに数日後、孔明が再び水練をしましょうと言いだしたことだった、が、今の彼らはまだ知らない。
- 作品名
- in the river(槍族)
- 登録日時
- 2009/04/10(金) 00:00
- 分類
- 文::三國無双