ついてないといえばこういう日の事を指すのかもしれない。
姜維はそっと隣の友人を見た。
斬馬刀を振り回し、辺りの岩を蹴散らす青年。
彼の表情が、岩が飛び散るわずかな間明るくなり、直ぐに暗いものへ戻る。
砕かれた岩の向こうに見えるのは先程砕いた岩に似通った岩の山。
何時になれば出られるのだろう、彼は大きくうなだれた。
Where is "Exit"?
事の起こりは、数刻程前であった。
未だ水に濡れた髪を手で束ね、姜維は目の前の師匠を振り返った。
というのも急に彼に呼ばれたため、水浴びも中途半端に駆けつけたのであった。
「急に呼び出して申し訳ありません」
すみません、とまるで口だけの様子で答える彼の師匠、諸葛孔明。
彼ははたはたと扇いでいた羽扇を彼に向かって動かしながら、落ち着いた口調で彼が体裁を整えるのを待った。
「で、一体何の用なのですか」
ぴっとひとつにまとめた髪を跳ねさせながら、彼は首を傾げた。
「これを」
待ってました、といわんばかりに袖口から木簡を取り出した孔明。
そっと差し出したそれを、そっと受け取り、姜維は眺めた。
「木簡…どなたへ?」
「関雲長殿へ」
「雲長殿は?」
「おそらくは自室に」
「わかりました!」
手ぬぐいと木簡を手に、彼はゆっくりと部屋を後にした。
「とはいっても、関将軍ってあまり話をしたことがないからな…」
木簡を小脇に抱え、意味もなく視線を壁に向けながら歩を進める姜維。
「緊張…はするな…」
など呟きつつも、いつの間にやら関羽の部屋の前に到着する。
木簡を抱くと、自由の効く右手で伸び、深呼吸をひとつ。
そして、その右手をそのまま扉へと向け、扉を叩いた。
が、その手は扉が急に開いたため、ノックにはならず、弾みの付いたまま、扉を開いた青年の顔をしたたかに打った。
「なっ」
鼻先を叩かれ、目を丸く開いた青年と、そのまま手を下ろすことさえ忘れたたずむ青年。
同い年の青年は、そのまま固まった。
「あ…」
「…え、と」
「どうした、平」
固まり続ける青年達の様子に気付いたのか、一人の大柄な男性が扉の中の青年、関平の背後に立った。
その声に、はっと我を取り戻した彼は振り返り、父上、と口にした。
「来客か?…おや、伯約殿、いかがなされたか?」
その低い声に、姜維も我を取り戻す。
「す、すみません…!」
「いや、き、気にしないで」
鼻を押えたまま、彼は父と扉の間をすり抜け、父の背後に僅かに見える椅子に腰を下ろした。
それを眺めていた関羽が、
「あ…えっと、雲長殿」
名を呼ばれ振り向いたのを認めると手に抱えていた木簡をそっと差し出す。
「これは」
「丞相より雲長殿へ」
その言葉に、木簡の紐を解き、中の黙読に入った関羽だったが、直ぐに何かに気付いたように空いている、関平の向かいの席を指した。どうやらそこに座れと言う意味らしい。
大人しくそれに従う姜維。
「珍しい」
彼が中断させてしまったらしい、関平と自身の間に広がる白と黒の戦場を見つめていた姜維の耳に、呟く声が入る。
「珍しい?」
向かいの青年は椀を二つ、戦場の横にそっと並べながら彼の質問に首肯で答える。
「父上があそこまでに真剣に書を読んでいるのは珍しいんだ」
その言葉に関羽が振り返り、彼の頭にこつん、と拳骨を落とす。
「いたっ」
「その言い方では拙者が書を読まぬように聞こえるだろう」
関平は頭を押えたまま、うーと唸り、それでも謝りの言葉を口にした。
「すみません父上」
「うむ、ところで伯約殿」
「はいっ!」
思わず立ち上がる姜維。二人は目を合わせ、姜維の方を振り返った。
「軍師殿に伝えてはくれぬか?」
関羽は優しげな瞳で見つめ、関平は相好を崩す。
どうやら、彼の反応が面白かったようだった。
「はい」
「善きことかな、と」
その言葉に、姜維の目がくるっと円くなる。
「え、それだけですか」
それでいい、と言わんばかりに頷く関羽、すぐに息子の方へと顔を向ける。
「それと、平よ」
「はっ、何ですか父上!」
きりり、と顔を戻し父を見上げる息子。
「伯約殿に付いて差し上げろ」
「…どういう事です父上?」
不思議そうに訊ねる関平に、関羽はしばし考え、たまには父から離れるのもよいだろう、と口にし、納得したように関平は頷くと姜維の手を取る。
「さ、伯約殿行こう!」
「あ、ええ、はい!それじゃあ失礼します!」
会釈もそこそこに、部屋を飛び出す青年二人組。
関羽はそれを見送ると、碁石を眺めた。
「ところで関平殿」
「ん?」
姜維は彼の横に並び、不思議そうに首を傾げた。
「手紙の内容って何だったのだろうな、と思いまして」
「…うーん」
腕を組みながら歩く関平に、姜維は慌てて両手を振る。
「あ、深くは考えなくていいですよ、丞相に聞くことにしますし」
「そうか…ところで」
「関平殿?」
「ここはどこか、伯約殿解るか?」
「え」
姜維はその言葉に、辺りを見回す。
…どうやら、手紙の内容を気にするがあまり、周りの景色の変化に気付いていなかったようであった。
石の兵士の人形が並び紫色の煙の立ち込める薄気味悪い廊下、そこは彼の知る成都城ではなかった。
だが、…彼はこの光景に聞き覚えがあった。
――確か…丞相からこのようなものを教わったな、名前はたしか…
「石兵八陣だ」
綺麗に二人の青年の声が重なる。
その言葉に、ふ、と共に来た友人を見ると、彼は得物である斬馬刀を構え、辺りを窺っている。
「孔明殿は厄介なものを作るのがお好き、だった…かな」
彼と視線を合わせず呟く関平。どうやら薄気味悪さを感じているのだろう、額から汗を流し、ずっと辺りを窺い続けている。
その隣、姜維はゆっくりと瞳を閉じ、ある方向を指差した。
「あちらから風が来ているみたい、です」
斬馬刀を握ったまま、彼も鼻先をそちらに向けた。
「だな、行ってみよう」
二人の青年は、ゆっくりと歩き出した。
「…拙者が思うに」
得物を床に置き、関平は肩で息をしながら呟いた。
「この石兵、動いている気がするんだ」
「動いている?どういう事…な、」
姜維が問いきる前だった。
ごとり、と何かが動き、二人は振り返る。
「伯約殿拙者は」
「わ、私にも見えてます」
大きく目を見開く青年たち。
彼らは抱き合いながら後退りを始めた。
ゆっくりと歩み寄りながら迷路の形を成す兵士たちから逃れるように。
羽扇をふっと膝元で握りしめ、諸葛亮は空を仰ぎ、城内の廊下に盛り上がる岩山を横目で眺め、満足げに微笑んだ。
それは劉備の逃走用経路として編み出したものであったが、もともと発明家気質の諸葛亮は、更に改良に改良を加え、最早迷路と化しているのだった。
「後はこれを設置する為に必要な点を…」
その時であった。
彼の目の前の岩が吹っ飛び、二人の青年が遅れながら飛び出した。
「伯約殿!出られたみたいだっ!」
嬉しそうに叫ぶ関平に、彼の肩に捕まっている姜維が目を回しながら応える。
「ううっ、…あ、丞相!」
目を細め、諸葛亮は彼らを眺めた。
「伯約、…それに関平殿」
ふらふらと立ち上がり、関平の肩から離れると姜維は手を真っ直ぐ伸ばした。
「丞相!返事、聞いて参りました!」
その言葉を耳にしながら羽扇を口元に当て、諸葛亮は笑っているのか僅かに震える声で返事の続きを促した。
「はっ!………あれ」
「どうしました伯約」
首を傾げる姜維。後ろでは関平が膝をつきうずくまっている。
「すみません丞相、」
気まずそうにもたつく姜維。
それが呼んだ暫くの沈黙の後、姜維は再び口を開く。
「迷っている間に…」
「…忘れましたか?」
彼はうなだれる。
「はい」
その後。
砕けた岩の破片を眺め、諸葛亮はため息をついた。
「まさか力付くでこようとは…一層の強化が必要ですね」
そして踵を返し、丞相府へと戻るのであった。
- 作品名
- Where is "Exit"?(姜維&関平/迷子)
- 登録日時
- 2009/04/28(火) 00:00
- 分類
- 文::三國無双