雪には馴れていた。西涼の砂漠にだって雪は降る。暑いばかりじゃない。
だから、虎牢関に積もる雪にもさほど驚きはしなかった。
馬家の証である色の薄い髪をそっと巻きつけた紅巾に抑え込みねじ込み、俺は墨をのばした様な空を見上げた。
ただ、金を忘れじと願う
「猛将・呂布、か…子龍は見たことがあるのだろう?」
寝台に寝そべり、巻物を読み上げる馬超。
どうやら虎牢関の記録に興味を持った様子で、彼は顔だけを趙雲の方に向け、そう問うたのだった。
普段であればいつも部屋にやって来る邪魔者の呟きとして聞き流す趙雲だが、何か思い当たることがあるのか、書き物をしていた手を止め、彼の方を振り返った。
「見たことがあるもなにも……槍を交えた事があるが」
彼の言葉に、ほうっ、と驚いたような溜め息混じりの声が響く。
「反董卓連合が動き出したらしい」
父上は悔しそうに呟いた。単身であったなら馬に跨りそのまま駆け出してしまいそうな顔をしている。
「父上」
俺は気がつけば立ち上がっていた父上を抑えていた。
「いけません、私達は董卓の隙を窺い涼州を平らげるのが先です、…第一今から軍を…となると間に合わないでしょう」
横でそう言いながら俺と共に父上を抑えるのは馬岱。奴の言うことなら父上も聞いてくれるだろう。
「しかし」
「ここは孟起従兄上に様子を見にいってもらうということで」
「……仕方ない」
ん……話がおかしな方に向いている。
「おい、岱」
抑えていた腕が軽くなる。父上が納得したようだ。だが俺は納得していない。
「従兄上」
「どういうことだ」
俺の言葉に馬岱はにっこり微笑む。
「お願いしますね!」
「しかし」
寝返りを打ちながら、馬超は趙雲に問う。
一騎打ちで呂布に勝てた奴はいない、と。
「まさかお前…実は幽霊とかじゃないだろうな?」
「どういう発想をしたらそこにたどり着くんだ…」
目をすうっと細め、いかにも呆れ顔で彼を見つめる趙雲。
すぐにその表情を解くと微笑み、ひとつ頷く。
「だが、確かに呂布には追い詰められた、そんな私を救って下さったのが玄徳殿だったな」
「へえっ、十万の兵の中を駆け抜けた子龍でも勝てないのか、呂布ってやつは……」
妙に大声で、妙に大きく首を振る馬超。
それが感心、なのかは趙雲には窺い知ることが出来ず、ただただ無言で馬超を眺める。
そのときだった。
さあっと太陽が射し込み、どこか気だるそうに寝転ぶ、馬超の色の薄い髪がきらりと輝いた。
「馬将軍…」
崖に足をかけ戦いの様子を眺める俺の後ろ、護衛に涼州より連れてきた兵たち、といっても四人しかいないが、が騒ぎ出す。
「解ってますか?」
「暴れちゃ駄目ですよ?」
「いくら呂布や董卓が暴虐の徒だからといっても」
お前ら、合わせて喋る練習でもしているのか、そう問いかけたい気持ちを抑え、俺は崖の下を眺める。
そこにいるのは、劉玄徳とその弟たちと…
「だれだあいつ」
ひとりの男を指差し、俺は訊ねる。
だが、兵たちはみな首を傾げ、さあ?と答える。やがて、俺の隣の兵士が、ややうっとりとした表情で口を開いた。
「わかりませんが、先程対峙したのを眺めていて…思いました」
「青嵐、か?」
――雪原に吹き付ける、鮮やかな青嵐。
どうやら、そう思っていたのは俺だけではなかったようだ、俺の言葉にそいつは大きく頷く。
一方、その青嵐は、総大将である袁本初の指示に従う事にしたらしく、迂回をするべく呂布より離れつつあった。
それをすぐに追い掛け、呂布はあいつに肉薄する。
危ない、離れろ、そういった言葉が口より出る前に、俺は大地を蹴っていた。
緩く巻いていた頭の紅巾が解けるが、…気にしていられるか。布をかなぐり捨て飛び込んだ。勢いが付いていたのか、得物同士が打ち合い、俺の目の前に火花が散る。
「ちっ」
俺は舌打ちをしながら、そいつ、呂布から距離を取る。
「貴様、何をしたのか解っているのか…」
低く、呂布が唸る。
呂布の後ろ、遅れて駆けてきたのは劉玄徳と義兄弟だった。
「よいしょ」
馬超が身体を起こし、首を鳴らす。
「しっかし話を聞けば聞くほど、すごい奴だな、本当に…」
そのまま、腕を後頭部へと回す。どうやら寝転がり、乱れた髪を直すようだった。
「後で聞いた話だが、殿、雲長殿、翼徳殿の三人でも敵わなかったと…ところで孟起殿」
「ん?」
袖より取り出した紐を口に咥えたまま、馬超は彼の方を軽く見上げた。
「…つかぬ事を訊くが、……そなたは、」
「ん、どうした?」
口を開く馬超。紐が落ち、視線を趙雲より外し、手を伸ばした。
「孟起殿は、虎牢関、反董卓戦線に加わって…」
加わっていたのか?そう訊ねようとした趙雲の言葉が、途中で止まる。
馬超が、手を止め、彼の瞳を覗き込んでいたからだった。
その瞳に映るのは、静けさと、深い沈黙。
何かを押さえ込んだような、淡い色の瞳が、揺らぐことなく彼を見据える。
「も、孟起殿……?」
そのまま、じっと彼を見つめる馬超。
しばらくの沈黙の後、ゆっくりと、その口が緩み、やがて開いた。
「…なぜ、そう」
そう思うんだ?訊ねようとした言葉は
「従兄上ーっ!」
突然の来客に遮られる。
「げ、岱」
「げ、じゃあありません!」
来客、こと馬岱は、そう叫ぶと趙雲に軽く会釈をし、従兄の目の前に仁王立ちをした。
そしてまっすぐに彼を指差し、口を大きく開いた。
「軍議をさぼって子龍殿のお部屋ですか!…将軍にも迷惑でしょう?」
素早く紐を拾い袖へと戻そうとする馬超の首根っこを捕まえ、
「私は平気だが」
と呟く趙雲の言葉も耳に入らないのか、
「とにかく、私一人では無理なんです…!」
馬超を引きずり、外へと向かう。
「はなせー!岱!放せ!」
…その途中、趙雲の前で立つと
「すみません、うちの従兄上がご迷惑をおかけしました」
再び会釈をし、部屋を後にした。
一人残された趙雲、足音が聞こえなくなったころに呟く。
嵐のようであった、が、…しかし…。
「あれが劉玄徳殿…仁徳のお方……私が仕える主であろうか…」
呟きながら走る趙雲だったが、後ろで鋭い金属音が響き、はっとそちらを振り返る。
そこには、一人の兵士が彼を追ってきたらしい呂布と対峙していた。
さらに後ろからは劉備・関羽・張飛の三人が彼を追う姿が見て取れた。
だが、それよりも。
雲の隙間から射す光が、その兵士を照らし出し、彼の目をさらっていった。
…雪を含んだ風が彼の髪を揺らし、その金糸が彼の動きを彩る刺繍と化す。
「まさかな、孟起殿は馬家の長男だ、一般兵の格好など…」
呟きながら、趙雲は筆を止め、寝台の馬超の寝転がっていた処に腰を下ろし、瞳を閉じた。
そこで寝転がっていた青年の、きらめく金糸を頭のうちに描きながら。
- 作品名
- ただ、金を忘れじと願う(馬趙/虎牢関捏造)
- 登録日時
- 2009/05/09(土) 00:00
- 分類
- 文::三國無双