「なら問おう、孟起殿。確信を持たずして訊ねることが出来るか?」
せいらんときんしとげったんひょう
人生には時機という物がある。
例えば、彼らの主君の泣かず飛ばずの半生は時機を外した事になるだろうし、逆に、天才軍師を得られたのは時機が合っていたということになるのだろう。
そういう意味では、今彼の目の前の男、馬超は機が悪いということになるのだろうか。
しかし、彼はそれに負けるような性格ではなかった。
「子龍」
趙雲の部屋の入口に立ち、馬超は書き物をしている彼を見下ろす。
「孟起殿か、水はそこに、茶は殿の部屋に」
だが気に留める様子もなく彼は書き物を続ける。
「そうじゃないんだ」
馬超はそう呟くと懐に忍ばせていた短剣を抜く。
そのまま、趙雲の首元へ。
氷のような冷たい感触に、趙雲の、書き物を進める手がぴたりと止む。
「聞きたいことがあるんだ」
「…答えなければ」
目を細める趙雲。
「答えてくれるさ」
明るい口調で馬超は応え、剣を再び握り締め、質問を口にした。
「子龍、…俺が虎牢関に居たのを見たのか?」
しばらくの沈黙、それを破ったのは趙雲の笑い声であった。
睨みつける馬超に、ひとしきり笑った後、趙雲は微笑みながら彼の方を向く。
「それは氷の刃を取り出してまで訊ねるような事だったのだろうか?」
その言葉に、馬超も参ったとばかり、にやりと笑うと短剣を投げ捨てる。
それは、きいんと高い音を出して真っ二つに折れ、砕けた。
「気持ちって奴だよ」
消えちまった軍の軍事機密も糞もないからな!といつの間にやら入り込み、趙雲の部屋の寝台に腰を下ろす馬超。
彼が消えちまった、に力を入れ言ったのを敢えて流し、
「…全く、ならば次は護衛部隊を丸々連れてくるのだな」
呆れ声で趙雲は呟く。
「ああ、そうする…でだ」
馬超の声に趙雲が振り向く。その手には水の入った椀が並べられている盆を持ち。
「あれは孟起殿だったのか?」
盆より椀を受け取り、一気に飲み干す馬超。
「だとしたらどうするんだ?」
「そうであるなら見た、と言えるがそうでなければ」
かちゃり、と金属の触れあう音がする。
馬超はそちらに目を動かし、わずかに大きくする。
そこには、趙雲が自らの得物を手に微笑んでいた。
「消えてもらうしかないな」
「おいおいおいおい」
かちゃり、得物が元の場所に戻される。
「…仕返しだ」
穏やかな笑みを浮かべ、趙雲はひとつ頷く。
「嫌な奴だな」
「孟起殿こそ」
にやにやと笑う二人、やがて馬超が椀を突き出した。
「なら、見たんだな?」
椀に水を注ぎつつ、趙雲はさらに頷く。
「そういうことになるんだろうな」
「けど、何故今更なんだ?」
指折り数える馬超、やがて彼の方を向き、二本指を突き出す。
「降ったときに聞けばいいだろうに」
「そういうわけにもいかないだろう」
「なぜだ?」
何も思い出す様子のない、屈託のない笑顔と返事に、ふう、と趙雲は溜息をつく。
伸ばした右手を払い、彼の耳に聞こえた声。
――俺は、馴れ合いは嫌いだ!
「そんなこと言ったか?」
ふうう、とひときわ溜息をつく趙雲。
「…言っていたのだな、しかし、その後だって…」
「ならば問おう、孟起殿」
馬超が彼を見つめ、彼は視線を逸らした。
「確信を持たずして、居ないかもしれない戦いに参戦していたか?など訊ねることが出来るか?」
「出来るぞ!」
即答。趙雲の顔が呆れのあまり緩む。
「…ならば話すことはないな」
くるりと馬超に背を向ける趙雲、慌てて彼は手を振る。
「ああ、ああっ、冗談だ」
「冗談には聞こえない」
「すまない、続きを……俺だって、何故解った?」
指で椀を弾く馬超。
「…さて、解らないな」
背中を向けたまま、投げやりな返事を返し筆を取る趙雲、その首に腕が回された。
僅かに眉をしかめ、彼は横目に眺め、しばらくの沈黙の後に仕方ないといった具合に呟く。
「その髪だ」
その髪が、陽に当たって煌めいていたのが印象に残っている、そう呟き、趙雲はうな垂れた。
「あーこれか…」
「それだけで確信を持てるものではないだろう?…馬岱殿も居ることだし、第一、気に」
気にしているのだろう?と訊ねる前に馬超が口を開いたのか、後ろから声が響く。
「けど岱じゃなくて俺だ、って思ったんだろう?」
しばらくの無言の後、諦めたようにゆっくりと趙雲は頷く。
その瞬間、彼の首に回された腕にきゅっと力が入る。
「ありがとうな」
そんな彼の礼の言葉を無視し、趙雲は筆先に触れる。
その筆先はぱりぱりに乾いていた。
――きっと振り向いたら、満面の笑みを浮かべているに違いない。ああ、腹立たしい。
- 作品名
- せいらんときんしとげったんひょう(馬趙/↓のつづき)
- 登録日時
- 2009/05/13(水) 00:00
- 分類
- 文::三國無双