夕陽が城壁を鮮やかな緋色に染める。
その上、趙雲はひとりの青年をじっと見下ろすと口を開いた。
「孔明殿から連絡だ、後で丞相府に寄る事だ……何をしている?」
耳に聞こえぬおと
返事はない。
城壁に胡座をかいていた青年、彼の長い睫毛が俯き気味の瞳に影を落としている。
「聞こえているのか」
もう一度、趙雲は口を開いた。
彼の言葉に、長い睫毛がピクリと動き、振り向くと怒りの感情を露わにしながらも何か別のものを押し殺したような瞳が彼をじっと射抜くように見つめた。
「煩い」
一言、彼に吐き捨てると青年はそっぽを向く。
「何故俺に構う」
腕を組み、城壁の外を眺める青年に、趙雲は腰に手を当て、首を僅かに傾げた。
「返事を返さないからだ、だがもういい」
「もういいのかよ」
馬超は彼の言葉が意外だったのか思わず振り返り、慌てて城壁の外へと視線を戻す。
「返事は返ってきたからな」
ふっ、と短いため息。それは趙雲の発したものであった。
「隣、邪魔させてもらおう」
彼はため息を吐くとそのまま青年、馬超の隣へと腰を下ろす。
「好きにしろ」
馬超はそれだけを言うと胡座の上に肘をつき、その腕の上に顎を乗せた。
辺り一面が緋色に染まり解りにくくはあるが彼の指先が白く変わる。
ひゅう、と風が吹き付け、馬超の兜飾りと趙雲の髪、城門の旗を揺らした。
「私の生まれは常山だ」
趙雲がひとり呟く。
馬超は城外に顔を向けたまま瞳だけを趙雲に向けた。
彼は続ける。
「誰の家に行っても安心できるような、小さな、小さな村だった」
辺り一面を染める緋色は少しずつ紅へと色を変えていく。
「私は、兄に反発して家を出、河北を放浪した」
趙雲は、空にきらめき始めた星を見上げ、そっと呟いた。
「…思えば、遠くまで来てしまったと思うな、兄にも父にももう会えない」
そして、馬超の方を振り返り、微笑む。
「俺もだ」
父に会えぬのは。
肘を突いたまま、口をとがらせ馬超は呟く。
「子龍」
「どうした」
馬超は、彼の方を向き、訊ねる。
「なぜ、その話を俺にした」
夕陽と言うよりは夕闇の中、一瞬、きょとんとした表情をする趙雲、だがすぐに顔を直し、口を開いた。
「何故だろうな」
眉を僅かに上げ、だが先程とは違った表情で馬超は
「は?」
と声を出し、首を傾げた。
「何故か解らずに話をしたのか、お前は」
そうだ、と頷く趙雲。
馬超はそれをむっとした表情で目を細め見つめると、表情を呆れたものに変えごろりと城壁に身体を投げ出す。
「……どこか似ているところがあるだとかそういう言い方があるだろう」
呟きながら、馬超は彼に背を向けた。
一方趙雲は、目を合わせようとしない馬超の背をじっと見つめていたが、徐ろに口を開いた。
「似ている、か……そうかもしれないな」
「適当に相槌打ってるだけじゃないだろうな」
まさか、と彼は明るい声で答え、立ち上がると後ろを向く。
城壁から眺める街、そのそこかしこに明かりが灯り、城へと続く道を浮かび上がらせている。
彼はそれを見下ろしたまま、呟く。
「…中華の耳だ」
「耳?」
馬超の瞳がくるりと彼を見つめる。
「解らぬままで構わない」
「馬鹿にしているのか」
まさか、と呟く趙雲の声が、途中で止まる。
「どうした」
止まったままの趙雲の様子に違和感を感じたのか、馬超は立ち上がると彼の左に並び、同じように固まった。
彼らが固まるのも無理はない。
城壁の下、引きつった笑みを浮かべた諸葛亮が仁王立ちで彼らを見上げていたのだった。
「孟起殿、一緒に謝ってくれるか」
「ああ」
趙雲の呟きに、思わず頷く馬超だった。
「子龍殿、急いで下さいと言いましたよね?」
雷が降り注ぐ丞相府の一室。
項垂れるのにも嫌気がさしてきた馬超は諸葛亮に気付かれぬよう、そっと顔を上げた。
未だ苛々と怒りの雷を趙雲に向かい落としている彼の後ろには壁一面に渡り中華の全図が広がっていた。
暫くそれを眺めていた馬超だったが、あることに気付き目を丸くした。
――中華を獣の顔に見立てるならば、涼州が右耳、幽州、冀州が左耳――
「耳とはそういうことか!」
一瞬、静かになる部屋だったが、次の瞬間、我に返った馬超の目に入ったのは、苦い表情の諸葛亮、そして目を逸らす趙雲のふたりであった。
しまったと思うよりも早く、諸葛亮が口を開いた。
「何がそういうことですかっ!」
その日最大の雷が、丞相府に落ちた。
- 作品名
- 耳に聞こえぬおと(馬趙/出身地の話)
- 登録日時
- 2009/06/22(月) 00:00
- 分類
- 文::三國無双