「え」
口を薄く開き、木簡の束を抱えたまま固まる姜維。
一方、彼の隣に立つ趙雲は、それすら見越していた様子でひとつため息をついただけであった。
そんな彼らが立っているのはとある青年の部屋。
そこには、ひとりの青年が立ち、彼ら二人を交互に見つめながら苦笑いを浮かべ謝罪を繰り返している。
「すみません、まさか水を取るその間に逃げられるとは…」
「思わないだろうな」
彼の言葉に、趙雲は頷き、僅かに口の端を上げる。もちろん苦笑いである。
「子龍殿、」
そこに、今まで固まっていた姜維が突然割って入る。
「伯約殿?」
彼は首を傾げる。
「その慣れたような言い方…まさかいっつも、なんですか?」
趙雲は頷く。
「いつもだ」
二人に同意するように、青年もまた、頷き、口を開いた。
「孟起従兄上はいつもそうなん、ですよね」
彼の名は、馬岱という。
不幸なことに、馬超の従弟であったりする。
そんな彼は、不服そうに頬を膨らませる姜維を見つめると、にこりと笑った。
「従兄上に会ったら、どつき倒してくださいね」
屈託のない笑顔で。
「…いいのですか」
そう言いながら不思議そうに彼を見つめかえす姜維に、馬岱は笑いながら口を開いた。
「……知っていましたか」
姜維は首を傾げながら趙雲の顔を覗き込む。
その顔には、なぜか怒りの色はない。
「…察してはいたが」
少しだけ姜維の方を向き、趙雲は頷いた。
…すぐに、その顔は前を向いたが。
「じゃあ、孟起殿がよく子龍殿の部屋にいたのもやっぱり?」
趙雲はもう一度頷き、そして解らないのも仕方がないな、と呟く。
「仕方ない、とは」
人差し指を顎に当て、結わえた髪を跳ねさせながら姜維は天井を見上げる。もちろん、歩みは緩めることなく。
「あれだけ騒がし…いや、賑々しく振る舞っていれば伯約殿が気付かぬのも無理はないだろう」
「そんなもの、なんですかね」
「そんなもの、だろうな」
趙雲は姜維の方に向かい僅かに微笑むと、そのまま視線だけを前方に向けた。
「……噂をすればなんとやら、だな」
その言葉に、姜維も趙雲の視線を追いかけ、やがて「なんとやら」を認めるとあ、と声を出す。
その「なんとやら」も、二人に遅れ、彼らの存在を認めたらしい。
自らが逃亡中だという事実をすっかり忘れているのか、片手をあげると満面の笑みを浮かべ、歩み寄ってきた。
「よ」
よお、子龍!伯約!二人揃って何をしているんだ!…後に聞いた話ではそう、彼は言いたかったらしい、しかし、彼の言葉は青年の拳により、強制的に中断させられた。
「子龍殿!?」
姜維が驚きの声を上げる。
「な、な、」
「なんとやら」こと馬超も、驚きのあまり口をぽかんと開けっ放したまま、声をあげている。
だが、その二人の反応すら予想していたのか、趙雲は拳をぐっと握り直すと
「ようやく捕らえたぞ」
と微笑した。
「何をする」
ようやく、我に返った馬超が怒りの混じった声を上げ、立ち上がる。
「…馬岱殿に許可は貰っている」
「そういう問題じゃないだろ、おい」
そのまま、二人は睨み合い、遅れながら我に返った姜維が、何かを言おうと口を開いたときだった。
趙雲が急に踵を返し歩きはじめた。
「おい!子龍!」
叫ぶ馬超。趙雲は足を止め、振り返った。
「どうした」
「逃げるのか!」
馬超をおろおろしながら見つめる姜維。
「逃げはしない、だが、」
「なんだ、俺より大事なものか」
「ああ」
頷く趙雲。
「誰かが投げ出した仕事が回ってきているからな」
「ん」
彼の言葉に、馬超は目を丸くする。
「私もですよ」
すかさず言葉を乗せる姜維。
「これ」
と抱えた木簡を彼に示しながら。
「そうか」
二人にそう言われ、示されて、馬超は腕を組む。
そんな彼を見、趙雲は姜維を見る。視線に気付いた姜維が彼の方を向くと、趙雲は軽く片目を閉じた。
「私たちも一緒に手伝いますから、部屋に戻りましょう?」
すぐに馬超に向き合うと首を傾げながら、姜維は彼に訊ねる。
「あ、ああ」
やがて、馬超はゆっくりと頷いた。
その日の夕方、成都の中庭で手合わせをする青年三人が見られたという。
「なんか、意外でした」
姜維が呟き、胸に抱いた木簡を眺める。
「完全に見抜かれていたな、従弟に」
ええ、と姜維は頷いた。
「子龍殿」
「どうした?」
「その、孟起殿がさみしがりやって、知っていましたか」
首を傾げながら問いかける姜維に、趙雲は返す。
「察してはいたが」
…そっと微笑みながら。
- 作品名
- さみしがりやのま・めんちぃ(槍族/不器用な愛情表現)
- 登録日時
- 2009/09/27(日) 00:00
- 分類
- 文::三國無双