ふう、とひとつ溜息を吐くと、湿気を含んだ風が首筋を撫でていく。
それは、火照った体を冷やすには役不足もいいところだったが、そもそも俺はこの国の風に大きな期待は抱いていなかった。
なにより、絶影と共に駆けた涼州の風以上のものは有り得ない、その気持ちだけは未だ変わらず心の底に沈んでいる。
まあ……別物と思えば、この風もまた、佳し。などと柄にもなく呟きながら、俺は坂道を独り、登る。
ミラージュ
成都郊外の小さな丘の上。
もっとも、小さなとはいえどもその頂上に登れば成都の街並みが一望出来る。
……その国の丞相によれば、霧のない日は蜀の桟道も見えるという。それは隠れた絶景というのが正しいだろうか。
そんな丘の上に建つ、ひとつの石碑を見下ろすように一人の男が向かい合う。
彼は手に桶を持ち、なあ、と石碑に呼びかけると溜息を吐く。もちろん、石碑からの返事はない。
「……ったく」
再び溜息をつくとその隣に腰を下ろした男は、桶を乱雑にひっくり返す。桶の中からざばざばと重力に導かれるように水が宙に浮き、そして石碑に当たり砕けた。
太陽が当たらず鈍く光るそれを、まるで、形のない玉のようだななどと眺めながら一人呟き、一瞬破顔した彼だったが、直ぐに険しい顔になると、ぎっと石碑を睨む。
「ふざけるなよ、おい、ふざけるなよ子龍」
おなじ、蜀の将だからだ。
珍しく彼らを照らしている太陽を背に、趙雲が笑う。あまりに隙のない好青年ぶりに、寝転がったまま馬超は顔を背けた。
「殿の志を孟起殿にもわかって頂きたいとは思っている、だが、それは押しつけるものじゃない」
ほお、と声を上げる馬超。その声には皮肉めいたものが混じっていた。
だが、趙雲はそれに気付かないか……あるいは気付かない振りをしているのか、穏やかな笑みを浮かべたまま、続けた。
「蜀将の私や他のものと、話を重ねればいずれ感じ取っていただけるだろうと思っている」
「ふうん、で、その話を重ねればってのは押し付けじゃないのか?」
口の端を上げ、馬超は意地悪い顔を作ると趙雲に問い返す。だが彼もその返しは想像の内なのだろう、眉一つ動かさず答えを返す。
「嫌ならばお逃げになればいい。……今も、何故?」
どうやら意地悪なのは馬超だけではなかったようだ。彼が目を丸くする横で、趙雲は両手を小さく挙げ、彼を捕らえてないことを示す。
「畜生」
馬超は悔しげな表情を浮かべ、上半身を起こした。
「蜀将は最低だというのはよく解ったぞ」
趙雲が微笑む。
「本当にお前は最低だ」
石碑に水をかけた男、馬超はそのまま、糸が切れたように寝転がった。
草むらの緑の匂いが、ふわりと彼の体を包み、鼻をくすぐると同時に、どんよりとした成都にかかる雲が彼の瞳にうつる。
「……子龍」
――お前は俺に「志」を伝えて、どうする積りだったんだ?
守れと言うのか?自らの地を守れなかったこの俺に?……何もかも失ったこの俺に?
大体だな、勝手に引きずり込んで、勝手に死んでるんじゃねえよ。
「馬鹿野郎、俺に押し付けやがって……」
呟いた言葉は、草むらに消える。
まるで、彼の意味を奪うかのように。
- 作品名
- ミラージュ(馬超&趙雲/趙雲死にネタ)
- 登録日時
- 2010/06/22(火) 00:00
- 分類
- 文::三國無双