ぎりいっ、と睨みつけた眼光は鋭く、武人の癖だろうか、勝手に体が臨戦態勢を取れと告げてきた。
だが、私は一つ息をつくと真っ直ぐに彼を見つめた。
「馬将軍」
それが、私の、最初の言葉だった――
Windless breath
「あ?」
趙雲の頭の上に自らの頭を乗せ、馬超は彼に問いかけた。
「なんて言ったんだ」
ふう、とため息をつく趙雲。
「誰の仕事をしていると思っているんだ」
すかさず手を挙げる馬超。
「俺のっ」
しかし、趙雲から反応はなかった。
大きなため息以外は。
「もう孟起殿は見捨てません?」
それを睨みながら恐ろしいまでの速さで筆を滑らせているのは姜維。
彼らの友人であり、蜀の国の仲間でもある。
「全くだ」
趙雲は彼の言葉には答えるのだった。
「……何か、用なのか」
整った顔の上、目深に被った兜からちらりちらりと伺うように目を動かし、馬超は趙雲を眺めている。
おそらくは、彼の真意を伺っているのだろう。
趙雲は薄く浮かべた笑みを崩さず、口を開いた。
「今夜、宴会が開かれます、……孟起殿も」
「断る」
間髪入れずに繰り出された拒否の言葉に、趙雲は目を丸めた。
「せめて話は最後まで」
「宴会が開かれる、まだ孟起殿は蜀に馴染みがさほどない、慣れるのにはいい機会ではないだろうか」
一気にまくし立てると彼は一息ついた。
「……当たっているだろう、趙将軍」
ああ、と小さく趙雲が頷くと同時に、馬超はふ、と彼の様子を鼻で笑う。
「冗談じゃない」
えーっ、と驚きの声が上がった。
「孟起殿が?馬孟起殿が!?」
それは、姜維の発したものに違いはなかった。
彼は首を傾げながら筆を止めると、趙雲の上の馬超を見上げた。
「……伯約殿だって初めは思っただろう、」
合わせるように頭上で視線を反らした馬超の、その頬に拳骨を押し付けながら趙雲は口を開く。
「孟起殿は、……錦馬超に似つかわしくない騒がしさだと」
こくりと頷く姜維をじろりと睨む馬超。趙雲は続ける。
「蜀に降りて暫くはまさに涼州の錦馬超、そのものだったな」
姜維は筆を起き、窺うように趙雲の顔を見つめた。
「そんな内輪の生温い宴会なぞつまらないだけだろうが」
ふん、と鼻で息をつき、馬超は側にあった長椅子に腰を下ろした。
「……それはなるほどその通りと言わざるを得ないな」
同じ長椅子の、彼から少し離れた場所に腰を下ろし、趙雲はひとつ頷く。
「なぜ座る」
「見下ろすのも変な話だ」
「……俺は、話はもう結構なんだが」
しっかりとした声で呟いた馬超のその言葉を、趙雲はそうだな、と軽く流し続けた。
「しかも、こう、特定の誰かとじっくり語り合う雰囲気にはならないからな……ん」
それだけを呟くと、彼は顎に手を当て、考え込むような仕草を取った。
そして、何かを思い付いたような顔で馬超の方を振り返った。
「よし、私も欠席してしまおう」
「え?」
感情を抑えきれなかったのか、疑問が声になってこぼれ落ちた。
それは、今まで趙雲が耳にしたことのないような、素直な感情だった。
「私も欠席、って何考えてるんだ?」
趙雲はにっと笑うと彼の質問に応える。
「何と言われてもだな、ただ孟起殿と飲もうと誘いをかけようと……」
「はあ?」
今度は「孟起殿」が、素っ頓狂な声をあげる。
「誰が行くと」
「今から誘う気であった。……ところで孟起殿」
睨み付ける馬超に、笑んでいた表情を真顔に戻し趙雲はじっと彼を見つめる。
「行かねえと……ん、なんだよ今度は」
「ほんとうの孟起殿というのは感情豊かなのだな」
ちっ、と舌打ちが廊下に響く。馬超が放ったものだった。
「悪いかよ」
「悪いとは言っていない……ただ、意外だった」
じっと趙雲を睨みつけていた彼だったが、ふっ、と息を抜いて壁にもたれた。
「意外か、……かもな、だが、俺にとっても意外だぞ」
僅かに首を傾げ続きを促す趙雲。その顔には疑問が浮かんでいた。
「泣く子も黙る趙子龍がここまでうるさいヤツだとは」
趙雲はその言葉に、目を丸く見開きまばたきを繰り返したが、すぐに馬超が彼を見ていることに気付き視線を逸らす。
「……私は、ただ、ひとりで佇む者を放ってはおけなかっただけだ」
その頬に差した朱色に、馬超が気付いていたかどうかは定かではない。
「正直なところを申し上げますと」
姜維は筆を硯に浸しながら大きなため息をついた。
「そのまま放っておいた方がよかったのでは……?」
趙雲も応えるように頷く。
「少なくとも仕事を押し付けられる事はなかっただろうな」
そして、溜め息。
「なんだと」
口を引き結び、睨み下ろす馬超に、姜維は口を開き……その視線は何かに気付いたかのように下にゆっくりと降りた。
「子龍殿」
名前を呼ばれた趙雲は顔を僅かに上げる。
「どうした」
動いた頭で顎を打った馬超の悲鳴も意に介さず。
「いえ……その」
「言いにくい事なのか?」
「……そんなことは」
姜維は趙雲の言葉を受け、自らに言い聞かせるように、うん、という声と共に頷くと再び口を開いた。
「孟起殿の話をしている時の子龍殿の顔、本当に嬉しそうですよね」
カタン、と筆の倒れる音。趙雲の握っていた筆がころころと机の上を転がる。
「どうした子龍」
首を傾げる馬超と、微笑みながら彼をじっと見つめる姜維。
二人に囲まれながら趙雲はしばらく固まったままであった。
- 作品名
- Windless breath
- 登録日時
- 2010/12/12(日) 05:38
- 分類
- 文::三國無双