一度あふれ出した涙は、横倒しの椀の如く。
彼は、大地に小さな染みを作る。いくつも、いくつも。
泣くんじゃありません、と優しくたしなめながら頬を撫でるその手は、枯れ木のように骨と皮のみ、ごつごつとしていたが、同時に、彼の知らない月日を重ねた老木のそれでもあった。
「……本当は」
撫でる手が、そっと止まる。
「私だって」
丞相、と呟いた声は、嗚咽に混ざり、相手の耳に入ったかどうか。
「弱音、吐きそうになりましたね」
年よりずっと、苦労を重ねたその顔が、よわよわしく笑む。
だがすぐに、顔を締め、一文字に口を結んだ。
「いよいよです」
彼は、そっと頬の手に、自らの手を添えた。
「嫌です」
はっきりと、自らの意思を伝える彼。
もちろん、どうにもならないことだと、二人とも、わかりきったことであった。
しばらくの、沈黙のあと、ぎゅっと握られる、老木。
指の先から、消えつつある温もりを、分け与えるかのように。
「丞相、お願いがあります」
瞳を朱に染め、彼は目の前の師を見据えた。
返事はない。彼は続ける。
「一度だけ、抱きしめても、いいでしょうか」
大きな溜息。寝台に広がるまだら模様。彼の師は、そっと口の端を歪めた。
流れ星が一つ、大きな流れ星が一つ。小さな光が、青年を照らし出していた。
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おおあわて。
- 作品名
- 秋風五丈原(姜維&諸葛亮)
- 登録日時
- 2012/08/23(木) 17:45
- 分類
- 文::創作三国志-その他