薄暗くて、生暖かくて、柔らかくて、満たされていて、生臭くて、狭くて。
伸ばした手は血の気の引くような白をしていて、わずかな光に目を凝らしよく眺めれば柔らかく纏りつくのは水より粘度の高い液体、いや。
俺が浸かっているのか?
仰いだ空は、「最期」に見た煌めく夜空ではなく。
手の感覚は、「最期」に感じた氷の握手ではなく。
耳に広がるのは、「あいつ」の子供じみた泣き声ではなく。
……最高に気持ち悪い、クソッタレ。
悪態の代わりに胸から吐き出された鉄の味だけが、彼の心を、身体に縛り付ける細い糸であった。
彼は気付いていた。――俺達は鳥じゃない。虹の向こうには必ず終わりが来る。
地を這う者の無謀な挑戦は、むなしいものだと。
泥水の中に叩き付けられて、押し込まれて、千切られて、肺にも胃にも生暖かいものが回って、何一つ残らないと嫌と言うほど思い知らされる。思い知らされた。
誰かを想う気持ちすら、覚悟すら――
ああ、と彼は息を吐いた。
どうやら全身を薄気味悪い液体で満たされているようだ、血の塊が、唇を離れ、宙に漂う。
この、薄気味悪くて、柔らかな暖かいばしょに。
“ねえ、兄さん”
――本当に俺はイカれちまったか。幻聴が聞こえるようだ。
“ボクサーのお話、わかるの?”
しつこいぞ、こら――
心の底で悪態をつきながら、包み込むような微温湯に、そっと身を任せた。
ふわふわと揺れる、濃灰色の空間の中、水の流れるような、あるいは何かを打つ音が耳に広がる。
「少し、寝かせてくれよ」
誰かに対して発した言葉、しかし受け止める相手もいないこの空間、ゆらゆらとした波紋となり、やがて何事もなく消え失せる。
“ねえ、兄さん?”
どうしようもない、何故かどうする気も起きないこの流れるばかりの時間、いつしか閉じられていた彼の瞼の裏、手にしていた意識の最後にうつったのは、はにかみ笑う彼の兄弟だった。
「起きて!いつまで寝てるの!」
赤く広がる視界と、乾いた風が頬を撫でる。
ゆっくりと開いた彼の瞳に突き刺さるのは太陽の光。
あまりの光の鋭さに覆った顔の、その手の隙間から垣間見えるのは緑や青を中心とした色の洪水だった。
全てが夢と正反対の景色に、自然と戸惑いが唸り声となって吐き出される。
「ここ……は」
独り言のつもりだった、だが反応があった。
「わからないよ、」
彼は振り返る。見知らぬ生き物?がそこにはいた。
「ただ多分、今まで僕らがいたとこじゃないみたい」
アヒルのように顔の中心から真っ直ぐに伸びた口から見えるのはまるで肉食獣のような乱杭歯。
目玉が飛び出しそうな、ギョロリとした瞳が、改めて彼を見据える。
「ああ、違えな」
「どうする?」
アヒルのような化け物――彼にとって「それ」は明らかに化け物に見えた――は首を傾げながら彼に問いかけた。
「知るかよ」
寝ていたところを叩き起こされ、理解より先に質問が投げられ、思わず目の前の者に言葉を叩き付けてしまう。
が、目の前の化け物はたじろぐ事なく、彼の顔に似合うゴツゴツと節榑立った指である方向を指差した。
「僕はあっちから来たんだ」
そのまま半回転。
「だからあっちがいいな」
「……好きにしろよ、化け物野郎が」
一瞬、大きな目を更にギョロリと見開いた化け物だったが、すぐに表情を戻すと、じゃあ、決定だねと呟いた。
「じゃあ、行こうか、えーと、」
「ゴーストバッターとでも呼べ」
「……僕はね、バッドバッター」
名乗りと共ににこりと笑うバッドバッター。
「よろしくね、ゴーストバッター。」
そのまま、じゃあ、と歩き出した彼の背中を、ゴーストバッターは眺めた。
今彼の瞳にうつるものと、目を開けた瞬間から少しずつ崩れ薄らいでいく、夢の記憶に既視感を覚え。
“兄さん”
「まさかな」
そんな呟きは、足下に広がる草のざわめきに消えていった。
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白黒バッターさんを孕むバッターさん。
結局タイトルは変えられなかった!
- 作品名
- one eyes, two hearts(Continue/Stop/Rise-白黒バッター)
- 登録日時
- 2016/11/08(火) 02:14
- 分類
- 文::フリゲ