「父さん、ここにいたんだね」
ニヴの丘の上、髪の毛からつま先までぐっしょりと濡れた自身の体を抱え、彼は立ち尽くしていた。
「ああ、君か」
振り返り、自分の瞳をじっと見つめるその目は、
青空をたたえたような蒼い瞳は、
雨ではない潤みを含み、真っ赤に染まっていた。
――父も母も言っていた、「男の子は泣くものじゃありません」と。
もちろん、そんなことはない、男だって泣きたいときはあるよ。
そう彼は考えて、実際両親に向かって口にしたことすらあったが、つまり、父が涙を流すということは。
「母さん、逝ったんだね」
その言葉に父は首肯する。
「昨日の夜は、まだそばにいたんだけどね。葬儀が終わったらすっといなくなってしまったよ」
瞳を閉じ、ふっと微笑む父。
「母さんらしいや」
そばに寄り、彼は腰を下ろす。
じわりと冷たい水の感触が、彼の腰を包むが、お構いなしだった。
つまりは彼もそうなのだ。「男の子だから」泣きわめいたりはしないけれど。
昨晩、母が亡くなったという知らせが、探索帰りの彼のもとへと告げられた。
いつの間にか小さくなってしまった母を抱き、そっと大地の寝床へ寝かせ、
久しぶりに出会った兄にしがみつき泣きじゃくる弟妹達を寝かせ、疲れ切っていたのだろう、
――夜になり父がいないことに気づいたのだった。
「昔話、いいかな?」
ざあざあと降りしきる雨の中、先に口を開いたのは父だった。
聞きたいな、と彼は返す。
その返事があまりに早かったもので、一瞬面くらったような顔をした父親だったが、ふふっと微笑むと、再び口を開いた。
彼の母親、父の妻は旅人だったこと。
一目惚れした父親が国民になってほしいと帰化を申し出たこと。
彼の差し出した帰化申請書を断り、自力で帰化したこと。
彼の母親、つまり姑と毎日探索に出て行き、結婚を認めてもらったこと。
はじめての子供、つまり息子のこと。
家族のために、仕事を求めたこと。
「君も覚えているよね、」
「竜騎士だっけ」
そう。頷き父は破顔する。
「やりすぎだって、僕は言ったんだ」
「なんで?」
息子は首をかしげる。
「母さんが、無理をしているように見えてたから」
――訳ありで、国を出た自分を、受け入れてくれた家族――
「母さんは、なんて答えたと思う?」
わからないや、息子はつぶやいた。
「『どうしても止めるなら私を倒せ!』だよ」
ぶへっ。口許を押さえ、息子は目を見開く。
「で、父さんはどうしたの」
「売り言葉に買い言葉で止めてみた」
「止めたの?止められたの?」
父は頭を振る。
「情けないかな、負けたんだ、よく考えたら竜騎士だもんな、相手」
はぁっ、という父のため息と息子のああ、と納得したようなため息が交差した。
「でも、気付いたんだ」
「何が?」
「母さんの背中は、家族だけじゃなくなっていたんだって」
「そうか、」
一瞬ためらうようなしぐさをしたが、すぐに息子は父へ向き直る。
「ねえ父さん」
いつの間にか上がっていた雨、その雨雲も、少しずつ、二ヴの顔に別れを告げ始めていた。
「父さんは、母さんがいなくなって寂しい?」
一瞬、空気が止まる。
しまった、と息子は額を手で覆う。
あまりにも、率直に聞きすぎた。あまりにも――
「寂しいさ」
少し張り詰めたような声色。
「寂しい、寂しいよ、今だって……そう、君の顔を見ていると、本当にそっくりなんだよ」
よく言われる、とのどまで出かかった言葉を慌てて飲み込む。
その言葉は、軽い。軽すぎる。
「父さん、俺」
最初にあった父が、目を腫らしていた理由。
一人、ここにいた理由。
だから、自然と言葉は口に出た。
「男だって、泣いてもいいと思ってた」
奇遇だな、つぶやき父は顔を覆う。
「今、僕もそう思ってる」
その慟哭を聞いていたのは、「息子と星たち」だった。
「ごめん」
肩で息をしながら、父は息子に頭を下げた。
「いいよ、家族だもん」
息子はそう、微笑みかけ、
くしゅん。
くしゃみを一つ。
「……でも父さん、お願いがあるんだ」
「なんだい」
「バシアス浴場、行こう」
「そ、」
そうだね、という言葉は、くしゃみにさえぎられた。
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父と息子。母と息子。たまには子供に甘えてもいいと思う。
- 作品名
- 空と山のはざまで(エルネア/初代♀と恋人とその子と/死にネタ)
- 登録日時
- 2017/04/28(金) 01:24
- 分類
- 文::その他