成都城の城壁、彼はその上が好きだった。
上り、外を見渡すと、広大な大地が広がり、彼の髪を揺らす風は、どこか懐かしい薫りがしているような気がしていた。
だが、それだけではなかった。
民こそが礎、その国主の言葉は、国中に広がっていることを、行軍演習を行う兵たちの様子からも感じられるからでもあった。
そんな、柔らかみをおびた風を胸一杯に含むと、彼は、城壁にもたれかかり、下を見下ろし、にやりと笑った。
そこには、彼と同じぐらいの青年、そしてやや若い青年が、沢山の兵を相手に組み手の特訓を行っていたのだった。
岡目八目、馬を駆る
城壁の下、少し年長に見える青年が、まだ十代ぐらいの兵を片手で押し止め、瞬間、幼い兵は地面に転がる。
その隙を突き、彼に向かって拳が飛び込んでくるが、彼は半歩身を引き交わす。
目標を失った拳の持ち主は勢いのまま倒れ、呻きをあげると動かなくなった。
どうやらそれは打ち所が悪かったのだろう、気を失ってしまった様子だ、と見下ろす青年はぼんやりと考えた。
そんな兵の相手をしていた年長の青年は、首を傾げた後その兵を抱え上げると、そばの兵長と思わしき男に何事かを告げた。
まだ彼と同じ年頃のその兵長は、拱手をして頷くと倒れた兵を背負いその場を後にした。
……兵長を見送りながら肩を竦め、青年は再び構えた。
「子竜殿」
その背中に向かい、凛、とした声が草原に響いた。
「伯約殿」
その声は、応える年長の青年、趙雲の声と共に城壁から眺める彼の耳へと届く。
ふむ、と趙雲は頷く。
「もう少し動いてから休憩にするか」
姜維に向かってそう口を開き、彼は側に近付いていた兵の腕を取り、大地に向かい投げ捨てた。
同時に、姜維も、軽く跳ねる。
「甘い、甘いぞ、子竜!」
小さな声で呟き、彼は石畳を拳で打つ。
彼の視線の先では若い兵士が趙雲の蹴り出した足を避け、間合いを取っていた。
彼は狙いを趙雲より姜維に変えたのか、もう一人の将軍に向かって走り出す。
だが、周りを囲まれている彼、姜維がそれに気付いているはずもない。
「ほら、伯約、お前!」
ほどなく、体当たりの形で飛び込んできたその兵を、寸でのところでかわす姜維。
「実戦だったら死んでるぞ、あれは」
勢いのまま、若き兵は数名を巻き込み、団子となり着地する。
ふ、と息をつく姜維、
「後ろ、おいっ!」
その隣を拳が飛び、彼は慌てて跳び後り、
「あっ」
馬超は思わず大声を上げた。それもそのはず、姜維がバランスを崩したのだった。
「あーっ!」
必死に体勢を立て直そうとするも虚しく華奢かと思われるような姜維の身体は地面へと沈み込む。
「おいおい」
ほどなく、彼は顔を上げた。
いててて…とでも口にしているのだろう、眉間に皺を寄せ、頭を掻いている。
「いててじゃないだろ」
もちろん、兵たちが見逃すはずもなく、ぞろぞろと姜維の周りを取り囲む。
そんな彼らを見上げ、彼もまた、負けたのを理解したらしい。何事かを口にした。
…暫く、休憩にしましょう。
そう、唇が動くのを眺めながら、馬超はうなだれ大きく溜め息をつく。
「情けないな、伯約、俺だったらあんなまねは…!」
そう呟くと、馬超は顔を上げ、再び視線を戻した。
彼が好敵手だと思っている、姜維の師匠役の男の事が気になったからであった。
だが、城外に広がる草原には、先ほど倒れた姜維とその一味の姿があるのみであった。
もう一人の青年、趙雲は兵たちとともに姿を消してしまったようだった。
「居ないぞ」
馬超は呟く。
その時であった。
「孟起殿、誰をお探しで?」
心を握るような低い声が馬超の後ろから響き、肩は驚きにひゅっと上がる。
暫く、空気が凍り付くが、それを打ち壊したのは馬超であった。
ぎりぎりと音が鳴りそうな程にぎこちなく振り返った彼の目に映ったのは、彼が探していた相手、趙雲とその部下の兵たちであった。
「やあ子竜」
引きつった笑いを浮かべ、彼は片手を上げた。それに合わせたように、趙雲もにこやかな笑みを浮かべる。
「やあ孟起殿」
そのまま、彼は馬超の隣に立つと、再び口を開く。
「うちの弟子にいろいろ教えてはくれないだろうか、あんなまねを二度としないように」
ぴきり。馬超の顔が益々引きつる。
「子竜…どこから聞いて」
「さあな、実戦なら死んでいたから解らぬな」
「……!」
言葉を失う馬超。
そんな馬超の肩を趙雲はそっと抱いた。
「やってみるのと見てみるのは違うものなのですね、子竜殿」
兵士が集まっている場所を眺め、姜維は深く頷いた。
「ああ」
趙雲も頷く。
「だからこそ、実践を重ねねばならないのだ」
「解りました!」
そう言うと、姜維は拱手をした。
「おいっ!」
突然、兵たちの間から、叫び声が上がり、すぐに兵を割って一人の青年が顔を出した。
「孟起殿」
その顔は、兵たちとの訓練のせいか、所々に紅がさしていた。
そんな彼に気付いた姜維が、名を呼ぶ。
「もうきどの~じゃない!」
「あ、ごめんなさい……孟起殿」
名を呼ぶ姜維に、ん?と尋ねながら立ち上がる馬超。
まだ少し自らの扱いに対して不満を抱いているのか声が固い。
そんな彼に近寄ると、姜維は
「また私にも涼州の戦い方を教えてください」
首を傾げた。
「あ、ああっ!」
先程までの不満顔はどこへやら、満面の笑みを浮かべ、任せろ!と叫ぶ馬超。
そのまま、彼は飛び上がると、周りにいる兵士たちにかかってこいと言わんばかりに構えた。
そんな、馬超と兵たちの組み手を見ながら、
「子竜殿、私も孟起殿にご一緒させて貰っても…」
「ああ、怪我人を看たら私も参加しよう」
二人の青年もまた、楽しそうに頷くのだった。
- 作品名
- 岡目八目、馬を駆る(馬趙姜)
- 登録日時
- 2009/10/29(木) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-その他