「すき」だなんていったら、きっとそれは違うものになる。「あいしてる」という枠には当てはまらない。そこに座っているのは自慢の奥さま。少なくとも、夫婦とか、恋人とか、そんなんじゃなくて、ただの、護衛兵。いや、兵というのはおかしいから、「護衛将軍」「護衛武将」……?なんていったら、きっとあなたは「私は主騎」というのでしょう。
ものに言葉を当てはめることがおかしいのはわかっています。関係に答えを求めるのはおかしいとわかっています。
でも、あまりにも好意を感じられないのです。いや、感じるんだけれど、それは上官に対する態度なのか、違うのでしょうか。
……義務感だったら、嫌だ。
少なくとも、私は、主騎を押しつけているわけじゃない。……だが彼にはもっとふさわしいところがある。残念ながら、それを殿も、雲長殿翼徳殿も認めています。「なぜ、任を解かないのか」なんて問われたこともありました。少なくとも、兵を指示通り動かしてくれる、それができる存在というのも多くはないとわかっています。
本当は、……主騎を任せられるように、と関平殿を連れていることだってわかっていますし……いや、重要なのはそこではないのです。
軍功なんて立てられない立場、認めてもらえない役職を、押しつけ、活躍の場が無く閉じこめていて、なぜかという理由を……。そして、答えが、どうなのか、ということを……。
本当は、仕事でもなけりゃあ、……。
ふるふる、と頭を振り、私は寝台に体を投げ出しました。
夜の考えごとは、体に毒だと、幾人に言われたことでしょう。
しかし、心と頭とは別のもの。
私の頭は、少し濁ったまま、ゆっくりと眠りに落ちていったのでした。
who does leave
数日の後、成都城・玉座の間。
「馬将軍に、左将軍の将軍位を授ける」
その中央、唯一豪奢と呼べる椅子に座した劉備の声が、静まり返った、質素だが広々とした間に響いた。
彼より幾段か下、文官武官に囲まれ、膝をつき洪手をしていた馬超が、はっ、と短く答え、俯いた。
「ありがたき幸せ!」
途端に、どっと周りが沸いた。
「従兄上……」
居並ぶ幕僚たちに礼をする馬超をじっと見つめ、彼の従弟である微笑みながらじわりとあふれてきた涙を拭った。
そんな、……慶びの空気の中、そんな、馬岱を横目で眺めながら、一人の青年は眉間に皺を寄せる。
そして、溜息一つ。
「孔明殿」
直ぐに、逆隣から、名前を呼ばれ、孔明こと諸葛亮は視線だけでそれに答えた。
「……何がそこまで不愉快なのか」
そこには、呆れ顔の青年が彼を見つめていた。
彼は続ける。孟起殿が苦手なのは解っているつもりだが、と。
その言葉に、諸葛亮はふっと自らの「得物」である羽扇で顔を「防御」すると口を開いた。
「別に、不愉快ではありませんよ」
「では、慎まれた方が……ここは公の場だ」
そもそも、と続けた青年。だが、その言葉の続きは、出なかった。
出る前に、羽扇を口元にぶつけられ、強制的に黙らされてしまったのだった。
「別に、この場で、この人数で、ちっぽけな私一人が眉間に皺を寄せてようと問題はありませんよね?」
その言葉に、口元をふさがれた青年の目が丸く開かれた。
直ぐに、彼はその羽扇を手でどけ、
「何を考えている」
そう答えた。
「……なんでもありません、……趙将軍」
彼の言葉に、口をふさがれていた青年こと趙雲はえっ、と短く声を出した。
「孔明殿」
「すみません、……少し一人にしてくれますか?」
「……孔明殿っ」
趙雲が呼び止めるがそれより早く、彼は乱れ始めた幕僚たちの人混みを縫うように玉座の間を後にしていた。
残された彼は、首を傾げる。
「何があったというのか……」
しばらく考えたが、結局導き出された結論は、埒があかない、ということだった。
彼は本来、人の気持ちを察すること、察して気持ちを返すことが、少々苦手なきらいがある。それは自身でも解っていることだった。
またもや、やらかしてしまった。
ふ、と溜息をつき、諸葛亮の出ていった方に、視線をやり、後頭部に軽い衝撃を受ける。
「よお子竜」
それはこの騒ぎの中心人物、馬超だった。
普段より、一段と華やかな衣装に身を包み、小脇にはじたばたと暴れる従弟を抱え、空いている手で趙雲の肩を抱いた。
「何だ」
「何だとは何だ。祝ってくれないのか」
ぐいっと趙雲の顔を寄せる馬超、しかし彼は慣れっこなのか、平然と応える。
「孟起殿にとって本当にめでたいのか?」
「まあな。……ほらな、涼州方面担当官ってやつにしてくれたみたいだしな」
ほう、と溜息をつく趙雲。そして、肩を振り払うと、彼に向かって洪手をした。
「ではあらためて……おめでとうございます。馬、左将軍」
「はは、苦しゅうない。……ってなんだ?いやに馬鹿丁寧だな」
趙雲は顔を上げた。
「一応、官位が違うからな」
「あ、そうか、お前、……確か五虎将軍の中で、」
「そうだ。……皆、気にしていないのか、あるいは気を使っているのかは解らぬが。……すまない、嫌な気分にさせたな」
頭を下げる趙雲に、馬超はいいってことよ!と叫んだ。
彼に抱えられたままの従弟がぎゃあぎゃあと悲鳴を上げているが彼はお構いなしだ。
「ま、俺にとっては子竜は子竜だからな!官位で変わるわけはないんだが……だろ?」
「ああ、そうだな、そもそもそこまで官位に興味はないからな」
頷く趙雲。
「へえ、言うじゃないか」
うんうんと頷く馬超。……彼は見ていなかった。何かに気付いたような表情の趙雲に。
「……ところで」
そこで、いったん言葉を切り、馬超は再び趙雲の肩を抱いた。
「祝いの宴は、どこであるんだ?」
「え?」
驚きながら彼はわずかに馬超から離れる。
「えじゃないだろ、俺たち友人、だろ?」
「……?」
疑問をその瞳に浮かべ彼を見上げた趙雲に、馬超の笑顔がそのまま、固まる。
「……違うのか?なあ、子竜!」
焦ったような声を上げる馬超。……ぎりぎりと、趙雲を抱く肩に力が籠もる。
実のところを述べると、ただ、趙雲は話を聞いていなかったが故に即答できなかっただけであったが。
「……友人?」
小さく趙雲は呟き……突然、そう、突然だった。彼の肩に乗った手を丁寧に下ろすと、彼は歩きだした。
「お、おい、どこへ」
「急用ができた」
「……なんだよ!」
口をへの字に曲げ、趙雲を睨みつける馬超。
だが、彼は振り返ると片手を上げ、口を開いた。
「悪い、祝いは明日の夜にでもさせてもらえるか?」
「あ、……ああ」
彼の言葉に、ほぼ反射的に手を挙げて応える馬超。
「……ん?」
その言葉の意味に、彼の頭が追いついたときには、……そして望む答えを聞いていないと気付く頃には、趙雲はとうに去った後だった。
城壁の端、見張り塔が設えてあり、一段高くなっているところに、彼は佇んでいた。
背中を彼の方に向け、空を仰いでいるようだった。
一瞬、歩みを止めたが、直ぐに一歩踏みだし趙雲は口を開いた。
「何をぐずついている」
びくり、と肩が揺れた。彼が趙雲の存在に気付いたようだった。
「……別に、何があるってわけではありません」
「そんなわけがないだろう……私が何かしたのなら謝る」
「はぁ!?」
大声を上げ、彼、諸葛亮が振り返った。
「何を言ってるんですか!」
その瞬間、二人の目が合う。……逸らしたのは、諸葛亮だった。
「……子竜殿が謝ることなんて何もありませんよ、ただ、一人で悩んでいた、それだけです」
羽扇を持った手がふるふると震えている。
「なにを、だ?……ひょっとして、孔明殿、私の官位」
「いけませんかっ」
叫ぶ諸葛亮に、溜息をつく趙雲。
……図星であったか。内心ひとりごちると、孔明殿、と名前を呼んだ。
「そうか、気になっておられたか」
反応するようにゆっくりと諸葛亮が彼の方を向いた。
「……当たり前ですよ」
「そうか」
首を傾げる趙雲。
「そうか、って……もう」
「私自身、官位を強く意識したことがないものだからな」
鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべ、すぐに頭を抱えると、諸葛亮はううう、とうずくまった。
「……ああ、なんか馬鹿みたいですよ、いらない事まで考えて」
趙雲は足を踏み出した。
「いらない事……とは?」
そのまま、諸葛亮の隣を通り過ぎ、城壁に凭れた。
「あっいえっ」
それを追うように瞳を動かしていた諸葛亮は、ぴたりと静止する。
しかし、趙雲はじっと彼を見つめるばかり。
「……言えと?」
問いかけた彼の言葉にも答えず、趙雲は風に身を弄らせている。
旗が揺れ、城下では子供が通りを駆け抜ける。
きゃいきゃいという賑やかな声が、風に乗ってそっと彼らの耳へと入り込む。
「……義務感、ですよ」
「ん?」
ぽっと呟いた言葉を、趙雲は聞き逃さなかった。
旗を見ていたが、振り返り口を開く。
「義務感?」
ええ、と諸葛亮は空を仰ぎ続ける。
「主騎というのは、戦場で武勲を稼ぐ、というところからは遠いものですよね……?」
震えるその声に、趙雲は顔を逸らす。
「本当は、ですよ。……無理矢理押しつけられたことを、なんて感じているんじゃないか、なんて思っていたりもしたんです。……ほら、私が臥竜崗を出たときとは状況が全然違います、よね」
頷く趙雲。
「なのに、私が頼るから、貴方は、将として出ることを言い出せないのかと」
「なるほど」
再び、頷く趙雲。
「ですから……」
「私が、孔明殿を、『守らなくては』という義務感……ということか?」
返事はない。だが、それこそが「答え」だった。
どこかいびつな感情を持つ彼はきっと、……口に出すと、崩れてしまうのだろう。
趙雲は、さりげなく顔を隠しながら、こっそりと微笑んだ。
どうやら、この軍師は、私が思っているより、ずっと、繊細で脆いところがあるようだ。
その上、どうやら、私に対して誤解を抱えているようだ。……原因は私にあるようだが。
この先選ぶ言葉によっては、感情に歯止めをかけられないかもしれないな。
……だが、私も言わなくてはならないことがある。
趙雲は、ゆっくりと諸葛亮に向き合った。
「……義務感?勝手な想像をなさる」
その目は、真剣であり、彼は真顔だった。
「どういう……ことです?」
「はっきり申し上げると、違うということだ」
彼に向き合い、諸葛亮は訊ねる。
「それは、どういう」
「孔明殿は、私が義務感や官位だけで選んでいると思っているのだろう?それは違うと言っているのだ」
不思議そうに首を傾げる諸葛亮。趙雲は続ける。
「……独りにはできないと思ったからだ」
えっ、と諸葛亮の口から言葉が漏れた。
「博望の戦いの後のこと、覚えているか?」
彼の言葉に、さっと自らの羽扇を口元に寄せた。
朱に染まる河の中、ヘたり込んだ、その背中を見つめた日のことを。
「その背中は、ずっと小さかった。……今よりも」
彼を見つめる趙雲から逃げるように、諸葛亮は彼に背を向けた。
「独りにできない、だから、と?それこそ義務感ではないですか?」
そんな彼の耳に飛び込んできたのは小さな溜息。
「……まったく、人の話を聞いているのか?」
それから、あきれた口調の、趙雲の言葉。
「しかし、そういうところが楽しいと感じているから、私も手に負えないな」
諸葛亮は振り返った。
「どういうことです?」
ふう、と、顎を包み込むように口元に手を添え、再び溜息をつく趙雲。
「『普通の上官』は単なる護衛兵長である主騎にそこまで感情をぶつけたりはしないぞ、ということだ。……これ以上、皆まで言わせるな」
言葉を発しながらも眉間に皺を寄せる彼を、呆気にとられたように眺めていた諸葛亮だったが、やがてふふっ、と小さな笑みをこぼした。
「……子竜殿、顔、真っ赤ですよ」
「慣れないことをさせる上官がいるからだろう」
少しばかり悔しそうに口元を覆ったまま、しばらくくすくすと笑う諸葛亮を眺めていた趙雲。
しかし、急に表情を慌てたものに変えると、
「その様子だと大丈夫だな」
踵を返し、
「先に帰らせてもらう」
と、元来た道を引き返し始めた。
「えっ」
慌てて後を追う諸葛亮。
「どうしたと言うんです?」
「……ほったらかしにされた孟起殿が我に返って、」
突撃してくる可能性もあるな、と言いかけた言葉は、途中で、
「子竜!こんなとこにいたか!」
の言葉で見事に遮られ趙雲の喉の奥に押しやられた。
「本当に、……なんというか」
横で、諸葛亮も苦笑いを浮かべる。
「……お、孔明もこんなところに」
程なく、彼にも気付いたその賑やかしの声の主である馬超はずかずかと駆け寄り、開口一番、
「答えはどうなんだ!友人なのかどうなのか!」
と趙雲に詰め寄った。
趙雲も、笑みを浮かべると、諸葛亮の方を向き、そっと耳打ちした。
「孔明殿も、これぐらいになれれば、もっと楽だと思うのだが……」
「軍略に影響出ますよきっと」
返す諸葛亮の言葉に、再び顔を覆い二人から視線を逸らす趙雲。
「何を言っているんだ」
訳も分からず、訊ねる馬超に、諸葛亮が何も?と返し、すたすたと歩き出す。
「おい、孔明」
慌てて彼を追う馬超に、突然振り返り、向かい合う諸葛亮。
「……おめでとうございます、馬将軍!」
そして、満面の笑みを浮かべながら繰り出された突然の言葉に、彼は固まった。諸葛亮は続ける。
「お祝いの席は私が用意しておりますよ」
その言葉に、趙雲と馬超も、目を見合わせた後に、にこりと笑みを浮かべた。
「だってよ、子竜」
「では呼ばれようか」
趙雲と馬超は頷きあうと、自身の言葉が照れくさいのか、若干ふくれっ面をで二人を見ている諸葛亮を追った。
- 作品名
- who does leave(創作趙雲&諸葛亮)
- 登録日時
- 2010/10/26(火) 02:12
- 分類
- 文::創作三国志-孔明&趙雲