「姜維将軍、付き合って」
「えっ」
Happening of sudden
姜維は声も出せぬほど驚いた。だが、驚きの声が上がった。しかもひとつではなかった。
それもそのはず、愛の告白……と思わしき言葉が発せられたのは、年に一度の取り纏めのために、臨時の詰め所として開放されていた大広間。
実際に、彼らとともに終わらない日誌や計算書、あるいは兵士の査定書など、ありとあらゆる書類と睨み合いをしていた周りの人間、数名が筆を手にしたまま目を丸くしている。
「えっ」
少々遅れ、筆を取り落とす姜維。
時機を逸しているような気もするが、それこそが彼が慕われている理由にもなるのだが、それは別の話。
「答えは」
しかし、彼女の言葉が耳に入る前に、彼女、星彩は彼に答えを求める。
……まったく、それは君の悪い癖だ。
喉まで出かかった言葉をおさえ、趙雲もまた、視線の交差点へと瞳を向ける。
「急な話なら、答えも急すぎる、どういうことだ、どういうことだ」
とにかく、とても、今目の前で起こっていることが心配で仕方が無い、といった様子でぶつぶつと心を漏らしている。余裕がないようだ。
もともと、このような人間関係、とりわけ男女の関係は疎い趙雲のことである。
それは戦場の鬼神、長坂の英雄としてうたわれた彼の一面でもあるが、知っているのはごく一部の面子であった。
知らず知らずの間に、こつん、こつん、と机に筆を当てていたようだった。
こつん。こつん。
音に、はっと飛びかけていた意識を戻し、姜維は星彩を見つめる。
……もともと、「あの」父親をもつ星彩のことだ。そんなに気軽に「付き合って」などと口にしたりはしない。
その言葉を受け止めた人間は、
――投げかけた人間もだが――
熊のような父親によって、寝込むことになるからだった。
姜維もその様な人間を、幾度となく見てきているため、その重さを解っているつもりだった。
――もっとも、そんな言葉が、自分にふりかかるとは思わなかったが。
趙雲は足を寄せ、大きく深呼吸を一つ、息を止め、それを思い切り突き出した。
「でっ」
真っ直ぐ伸びた足は、気持ちよさそうに鼾をかく、今まで伏せていた男に当たり、彼は当然のことだが飛び起きた。
すぐに彼は自らに起きた事態を理解したのか、あるいは痛みに脊髄反射したのかは解らないが、眉をつり上げ、趙雲を睨む。しかし趙雲も負けてはいない。
「孟起殿、起きたか」
「起きたか、じゃ」
すかさず口を塞ぐ。
「黙ってくれるか、そもそも追い込みのこの時期に鼾をかくとはどういうことだ、また私に、いや私と岱殿に徹夜させるつもりかいい加減にしろ」
話が少々ずれつつも、彼……馬超の抵抗が収まったのを確認し、彼はそっと手を離す。
もちろん、彼の頬にすぐ来る反撃も全て解った上で、のことになる。
「もうひほのはなせ、まふはあっひをひろ」
「なんだ?」
漸く、賑やかなはずの大広間が静まり返っていることに気付いた馬超、首を傾げる。
「何が起こっているんだ」
周りを眺めながらも、とりあえず静かにしなければならないという事態であることは気がついたようで、声を潜め、趙雲に問いかける。
「ひょういほろは、へいはいにほふはふひまひは」
あ、と小さく声を上げ抓り上げたままの頬から手を離すと、彼は再度問う。
「星彩が、姜維殿に、告白した」
「は?」
慌てて自らの口を押さえる馬超。
「告白?」
「ああ、答えを待っているのだ」
言葉を聞いた瞬間、ふうん、と興味なさげに、胡座をかく馬超。
趙雲は、溜息をついた。
「ええと、」
「……駄目かしら」
じ、っと見つめる星彩。ふさふさの睫毛より覗く目が潤んでいる。
その瞳と、突き刺さる視線に負けそうになり、彼が口を開いた瞬間。
一瞬、彼女の瞳が逸れた。
……ああ、そうか。
その瞬間、彼は理解し、同時に、「彼女の求む答え」が脳裡をよぎった。
「星彩殿、いえ、『張将軍』」
星彩の目が丸くなった。
はっきりとさせるのは、彼女の立場が許さない。「彼」の立場が許さない。
……出しに使われるのは、ちょっと不愉快だったが、それすらも理由がある。
自分がその立場であっても、きっとそうするだろう。
なにより、彼女が告白をしてきた事で……一つだけ解ったことがある。
「私の気持ちは、『聡い』貴女と一緒です」
そう口に出すと、思わず口が歪む。
星彩が、微笑んだ。
「そう、それは残念ね」
そのまま、立ち上がると部屋の扉に手をかけた。
「どういうことだ」
趙雲が立ち上がり、心配そうに彼女の顔を覗き込む。
「ふられたと言うことです、子龍殿」
今の会話から予想されていなかった答えに、えっ、という声が趙雲から漏れる。
「星彩」
そのまま、彼女は部屋を後にした。
こつこつ、という石畳と靴がぶつかる音が遠くへ、遠くへと小さくなっていくのを耳で見送り、姜維は溜息をついた。
が、すぐにしまった首に、くっと小さな声を上げる。
「孟起殿」
馬超が、首を絞めるように手を這わせ、彼の肩を抱いたからであった。
「どういうことだ」
かつての孤高の英雄が持つ力できりきりと締め上げる腕と、首との間に自らの手を滑り込ませ、姜維は一つ息を吐いた。
「……ふられたのは私です」
そして、彼の答えに、頭に大きな疑問符を浮かべる馬超を尻目に、彼は遅れてしまった仕事の続きを再開した。
「おい、ふられた、ってどういうことだ!」
筆を取りながらも、腕は姜維の肩、……よほど彼の言葉が気になったようだ。
しかし、しつこく食い下がる馬超を、完全に無視すると、彼は筆を滑らせる。
「そもそも告白されたのに、説明無しか!」
馬超の叫び声が大広間にこだました。
――説明、なんて出来ません。
星彩殿も、私も、肩越しに誰かを見ていた仲間というだけなんです、ねえ「馬超殿」?
「大丈夫だから」
星彩の言葉に、歩を止める趙雲。
「……本当に大丈夫なのか」
どうして、気付かないのだろう。
姜維殿は、とっさに合わせただけなのだ。……いや、きっと、彼も目的は一緒だったのかも知れない。
ふとそこまで考えが至ったときに、そわそわと貧乏揺すりをくり返す馬超の慌てた顔が脳裡に甦る。
とっさの時に出てくる言葉というのはその人の本心、と彼女は彼の師である諸葛亮が言っていたことを思い出す。解っていれば、それだけで幸せと思える。
姜維には悪かったのだけれど、ちょっと試したかっただけであった。
……ひょっとすると、彼女の企みすら、解ってくれるのでは無いかと、期待がなかったわけでもないのだろう。
それにしても。
「大丈夫。貴方がついてきてくれたから」
まっすぐに、ただ真っ直ぐに。
じっと見つめる彼にそう言うと、「そのひと」は首を傾げる。
「そ、そうか……何かあったら私にいうんだぞ」
どことなく納得できない様子で肩を竦めると、趙雲は踵を返した。
言えたら、苦労はしない。
ため息一つ、そっと廊下に消える。
夕闇の帳が、そっと降りはじめていた。
- 作品名
- Happening of sudden(星彩→趙雲、姜維←→馬超)
- 登録日時
- 2013/09/05(木) 01:22
- 分類
- 文::三國無双