城にはためく白いそれは、陽光を柔らかく跳ね返し、彼の瞳を捉える。
それは彼が身に付けた黒き服と共に、奇妙な差異を醸し出していた。
城内の市を歩くと、物言わぬ本日の主役がどれだけの民に愛されていたか、漏れる声に彼はまざまざと思い知らされた。
もちろん、彼もその民たちの例外ではなかった。
優しいはずの陽光が、彼の目にはひどく鈍い痛みを持ち、ちくちくと瞳を刺す――
彼を慕っていた民たちの「気持ち」はいつまでも続き、城下をまばゆく染める。
普段ならば足を取られかねない暗闇の中、
「おや、こんな所にいたのですか」
空に浮かぶ白円の子と見紛うような羽扇の羽先をはたはたと揺らし、孔明は城壁への階段をゆっくり踏みしめる。
「どうした」
彼が来ていたのに気付いていたのだろうか、返事はすぐに返ってくる。
声の先、ひとりの男性が月と向かい合い碗を呷っていたのだった。
「阿斗様、いえ公嗣様が探しておいででしたので」
そうか、と彼が呟くと納得したように孔明は未だ月と向かい合う彼の隣にゆっくりと歩み寄る。
「君主を幼名呼びとは、相も変わらず失礼だな」
「いいほめ言葉ですよ、それは」
ふふ、と笑う孔明。
「今更です」
「だな」
「ところで子竜殿」
名を呼ばれ、ふ、と彼が振り返り、その瞳が白円である月を映しきらりと光った。
その瞳はまっすぐに孔明の表情を窺っていたがやがて彼の視線を伝い、趙雲自身の足元に戻る。
「誰の分ですか?」
孔明を迎えるにはあまりにも多すぎる、並べられた四つの碗に。
「これは」
一拍、彼が口を閉ざし、たわいもない会話のごとく言葉を紡ぎ、繋いだ。
これはきょうだい達におくるものだ、と。
その言葉の通り、手をつけられた跡のない碗達には彼の瞳に映るものが、旗を揺らし彼に吹きかける風にその形を歪ませる。
顔を動かし、ばたばたと騒がしく揺れる旗を見上げながら、彼はさらに言葉を紡ぐ、繋ぐ。
「皆、急に居なくなって仕舞われた」
そのまま、孔明に背を向け、どこから出してきたのか解らぬ酒瓶より、透明な液体を自らの碗に注ぎ入れる。
それはまるで、目の前に「きょうだい」がいて、彼らに奪われぬような仕草で。
「子竜殿」
孔明は彼の隣にそっと腰を下ろす。返事はない。
だが、それも解っていたようだ、言葉を続ける孔明。
「同席してもいいですか」
趙雲の肩が、ぴくりと動き、生まれつきの鋭い瞳が彼を見据える。
その目は、着物を気怠そうに捌く孔明の仕草を一通り眺めると、笑みを含んだ物へと変わる。
「珍しいな」
そして、自らが口にしようとしていた碗を、彼に手渡す。
「碗が足りなくてな」
「構いません、……あなたこそ珍しい」
碗を受け取り、未だこちらを向いていた彼の背中にもたれかかると、そっと口に含む孔明。
「まあ、な」
程なく、孔明の心の中、思い出が、それが「末弟」と呼ばれた男に無理矢理飲まされた味だと語り出す。
――こいつぁ、あの桃園で飲んだ奴なんだよ!うめえだろ!
いい風だ、と趙雲が呟き、
……それ以上、言葉も交わさぬ、目も合わさぬ、奇妙な宴は月が落ちるまで続いたのだった。
- 作品名
- cry for the moon.(死にネタ)
- 登録日時
- 2009/03/31(火) 00:00
- 分類
- 文::創作三国志-孔明&趙雲