「……」
無言で鍋の中を覗き込むテレンス。
あるはずの、それがない。
彼は、振り返った。
透き通った青空のようなマントを広げ、彼に背を向け体育座りになっている少年のほうを。
「ハニー」
びくり、と肩が跳ね上がる。
「……ハニー?」
再度問う。肩が、揺れる。
沈黙に包まれたコテージに、野菜とスパイスの焦げた残り香が、広がっている。
「私は」
言葉を発しない背中に、言葉を続けようと、彼は鍋に蓋を戻し、一歩少年へと歩み寄った。
「……ごめん」
少し、タイミングが遅れていれば。
きっとその言葉は彼自身の靴音で途切れ、耳へと入ることはなかっただろう。
――きっと、それでも聞こえている、のかもしれないが――
「何が?」
少しだけ、心の中の、意地悪な悪魔が、その言葉を口にさせた。
知っていた。「何を謝っているか」なんて。
「……ごめん!」
少年――アーネストは振り返る。
「ちょっとだけ、おなかすいたから、その」
一口だけ味見をしようと思ったんだ、彼は眉をひそめながら、しかし瞳はテレンスのそれよりそらすことなく、言葉を続ける。
「だけど、一口で終わらなくて」
「そうか」
彼の言うことはきっと本当だ。彼は嘘を、――少なくとも、自分には――つかない。
根拠のない、妙な確信めいたそれを、そっと飲み込み、彼は応えた。
「ねえ、ハニー」
こつん。靴音が響く。
一瞬、アーネストの瞳が、揺らぐ。
「今日のカレー、一番いい出来だったんだよ」
あっ、と声が漏れる。
こつん、こつん。靴の音が、コテージに、反響する。
「本当に、ごめん!おまえの分まで」
顔をゆがめ、謝罪の言葉を口にするアーネスト。
罪悪感に、瞳がうるんでいるようにも見える。
ちょっと、やりすぎたか。
ふっと微笑み、彼は少年の頭にそっと手を添えた。
「全部食べちゃうぐらい、気に入ってくれたんだね」
「えっ」
添えた手を、動かす。撫でる。
「私もアーネストの頃は、おなかが空いて仕方がなかったよ」
「えっ、えっ、おま、え、」
慌てた様子で、条件反射なのだろう、彼の手にアーネストのそれが添えられる。
「おこって、ないのか?」
なんで?首をかしげるテレンス。
「だって、二人分」
「いいよ」
「でも」
撫でる手に、少しだけ力が込められる。
「作り手としてはおなかいっぱい食べてくれるのが、何よりの幸せなんだよ?」
――なくなってしまったら、いくらでも作り直せばいいんだよ。
そう続け、彼は少年の手を振り切るように頭から手を離すと、床に転がっていた籠を手にした。
「その代わり、ちょっと手伝って」
首をかしげる少年だったが、一拍おいて満面の笑みで頷いた。
「わかった!」
包丁が、まな板をたたく音が響く。
「食後には私のソーセージを食べてほしい」
「噛みちぎってやろうか」
少年と青年の、軽口を巻き込みながら。
――I'm stuffed!
- 作品名
- I'm stuffed!(ホモなれ)
- 登録日時
- 2017/05/21(日) 01:48
- 分類
- 文::フリゲ